モンテッソーリとシュタイナーから学ぶ、教育における「自由」とは?

オバマやゲイツが育った「子どもへのまなざし」
おおたとしまさ プロフィール

「自由」とは「思い込みから解放されていくこと」

女優のサンドラ・ブロックポルシェデザイン創業者のフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェライカ社社主のアンドレアス・カウフマン元アメリカン・エキスプレスCEOのケネス・シュノールトなどがシュタイナー教育出身者。児童文学者のミヒャエル・エンデも短期間だがシュタイナー教育の学校に通っていたことがあるといわれている。

強い光や音から子どもたちを守るようになっているのがシュタイナーの幼稚園の環境。素朴なおもちゃばかりで、人形には表情がないのは、子どもが自由に想像力を働かせられるようにするため。(協力:一般社団法人 ヴァルドルフの森 キンダーガルテン なのはな園)

シュタイナー教育は「自由への教育」を標榜する。しかしこの場合の「自由」とは、もちろん好き勝手にすることとは違う。「自由と責任」というような道徳的な概念でもない。

”いい大学”に入れれば満足か、”いい会社”に就職できればOKか、お金もちになれば成功か、社会的名誉がほしいのか……。”いい学校”も”いい会社”もお金も名誉も、みんな自分ではないだれかが認めているだけの価値である。みんなが「いい」というものを良いとしているだけだ。それが目に”みえやすい”価値だから。万人にわかりやすい価値だから。

 

「でも、そういうものを基準にして生きる人生は本当に自由だろうか?」

シュタイナーは、私たちにそう問いかける。

みんなが認める”いい学校”に行きたいと思うのも、みんなが認める”いい会社”に入りたいと思うことも、お金をたくさん稼ぎたいと思うことも、有名になりたいと思うことも、名誉を得たいと思うことも、それこそがひとそれぞれの「自由」ではないかと訴えるひとがいるかもしれない。

でも、その「自由」はあくまでも自分の外側にある権威や価値を前提にしたものだ。いくら稼いだって、お金は使えばなくなってしまう。ほめてくれる他人がいなければ、有名になることも名誉を得ることもできない。自分以外の何かに寄りかからないと価値が証明できない人生は、本当の自由な人生ではない。

あらゆる権威や価値、すなわち現代社会にこびりついてしまったさまざまな”思い込み”から解放されていくこと自体が「自由」であり、それができるひとを育てるのが「自由への教育」なのである。

あまりに独特な視点に立脚するがゆえ、シュタイナー教育には「宗教的」「オカルト的」という批判もある。しかし科学ではとらえられない世界があるという話に対して「科学的ではない」という批判を浴びせても何の意味もない。それこそ「科学万能主義」という狂信なのかもしれないのだから。

むしろ、科学万能主義・知識至上主義を突き詰めた結果としての「分断」の時代にこそ私たちは、シュタイナー教育が問いかける「自由」の意味と真剣に向き合ってみるべきではないだろうか。

関連図書/『世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書
(おおたとしまさ著、大和書房刊)
正解のない時代を「たくましく生きる力」を育てる7つの教育法の理論と実践を網羅した1冊。