モンテッソーリとシュタイナーから学ぶ、教育における「自由」とは?

オバマやゲイツが育った「子どもへのまなざし」
おおたとしまさ プロフィール

むだなこと、余計なことこそ、才能を解放する鍵

医学博士になって10年が経つころには、モンテッソーリの名は、知る人ぞ知る存在になっていた。そして転機が訪れる。いわゆる貧民街を再生するプロジェクトの一環として、未就学児の世話をする施設の運営をまかされたのだ。それが最初にできた「子どもの家」。1907年のことである。

当時、貧民街の両親の多くは共働きで、今日の糧を得ることだけで精一杯。日中、放置された子どもたちがあちこちでトラブルを起こすことが問題になっていた。今風にいえば「社会的ネグレクト」の状態である。

施設といっても、裏長屋的アパートの一室ででる。しかしそこでモンテッソーリは大胆にも宣言する。

「これは、いつの日か全世界が話題にするようになる一大事業のはじまりです」

 

従来の、子どもを管理し教えこむ教育スタイルから、教師が子どもに与える影響を最小限に減らした教育へと、コペルニクス的転換が始まった。そして実際に数々の奇跡を起こす。1908年にはすでに、モンテッソーリの名は、世界中に知られるようになっていた。

大人の目からみれば取るに足らないこと、むだなこと、むしろ余計なことをしているようにみえる子どもの言動のなかにこそ、のちにどんなに大きな実を結ぶかわからない可能性が秘められている。その可能性に気づき、信じ、はげますことができるかどうか。それが子どもの才能と個性を解放する鍵であり、教育の本質であることを、モンテッソーリはいまも私たちに教えてくれるのである。

モンテッソーリの幼稚園には「言語」「秩序」「運動」「感覚」「数」「文化」の分野ごとに多種多様な教具が用意されている。子どもたちは好きな教具を自由に選び、遊びながら学ぶ。(協力:公益財団法人 才能開発教育研究財団 日本モンテッソーリ教育綜合研究所 附属「子どもの家」)

モンテッソーリは、教育者として有名になったあとでも、権力に屈しない、信念の人だった。一度はイタリアの学校にモンテッソーリ方式が導入されるが、第二次世界大戦に至る過程では、ファシズム化するイタリア国家に加担したくないと反発したために弾圧を受ける。「子どもの家」はすべて閉鎖され、モンテッソーリは最終的にオランダに移住した。モンテッソーリはノーベル平和賞に3度ノミネートされている。

モンテッソーリ教育を受けた有名人としては、オバマ元大統領マイクロソフトのビル・ゲイツグーグルのラリー・ペイジなど錚々たる名前が挙げられる。文字通り、世界を変えるリーダーたちだ。ラリー・ペイジなどは、自身の実業界での成功がモンテッソーリ教育の賜たま物ものであると公言している。