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モンテッソーリとシュタイナーから学ぶ、教育における「自由」とは?

オバマやゲイツが育った「子どもへのまなざし」

『ルポ 塾歴社会』『中学受験「必笑法」』『追いつめる親』など、受験に関する多くの著書で知られる教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、受験にとどまらず、世界中の教育についても取材し続けてしてきた。その集大成と言えるのが最新刊の『世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書』だ。モンテッソーリ、シュタイナー、イエナプランなど名だたる「世界7大教育法」が、どのような教育法なのか、なぜこれらの教育法が才能あふれる子どもたちを輩出してきたのかが描かれている。

7大教育法の中でも、最も知られているモンテッソーリとシュタイナーにクローズアップし、ふたつの教育法が大切にしている教育における「自由」というキーワードの真の意味を紐解いてみよう。

モンテッソーリの幼稚園。地球儀は「文化教育」の代表的教具(協力:公益財団法人 才能開発教育研究財団 日本モンテッソーリ教育綜合研究所 附属「子どもの家」)

「自由」とは「援助なしに行動ができること」

「なぜ静かにできないんだろう?」「なぜがまんできないんだろう?」「なぜ言うことを聞かないんだろう?」……。子育てをしていると、子どもの困った言動を目のあたりにして、ネガティブな意味で「この子はなぜこんなことをするんだろう?」と感じてしまうことがあるだろう。

たいていのひとは、この「なぜ?」が自分に向けられた問いであることに気づかない。そして、「しつけ」と称して、大人の権力や腕力で子どもをコントロールしようとする

でも、マリア・モンテッソーリは違った。思いこみや偏見を手放し、この問いに真剣に向き合った。大人からみれば困った言動をする子どもに対し、非難の気持ちを向けるのではなく、類たぐい希まれなる観察力をもって、「その言動の裏には何か理由があるはずだ」と考えたのだ。

 

モンテッソーリは1870年イタリアに生まれた。並々ならぬ苦労のすえに、1896年にはローマ大学初の女性医学博士となる。しかし医学を志す女性に対する当時の偏見や差別は熾烈だった。

孤独のなかで心が折れかけて解剖室を飛び出したとき、彼女はホームレスの母子に出会う。モンテッソーリの目をとらえたのは、必死にもの乞いをする母親のかたわらにいた子ども。腹ぺこに違いない。にもかかわらずその子は、小さな色紙の切れ端を手にして、夢中で遊んでいたのだ。

医師として勤務した知的障がいをもつ子どもたちが保護される施設で、食事の時間が終わると、子どもたちは床に落ちたパンくずをあさることに熱心になっていた。その様子に嫌悪の目を向ける職員がほとんどだった。

しかし若きマリア・モンテッソーリはひらめいた。食欲のためでなく、知的欲求にしたがって、パンくずを集めているのではないか。おもちゃも何もない牢獄のような部屋のなかで、パンくずこそが唯一、彼らの知的好奇心を満たす対象なのではないかと。そこで簡易な教具を与えてみると、案の定、子どもたちはそれに夢中になった。

彼女自身、医学部唯一の女性として偏見と差別の目を向けられる日々のなかで、上から目線の決めつけに対する猛烈な反発を覚えていたはずだ。それが彼女に、子どもという社会的弱者へのあたたかいまなざしを与え、教育者としての眼を開かせたのではないかと私は思う。

子どもの困った行動や悪い癖は厳しく叱っても優しく諭しても根本的には直せないとモンテッソーリは気づいた。むしろ指導や命令から解放して、子どもに「自由」を与えることで、改善に向かうことをみいだした。

マリア・モンテッソーリが、イギリスのゲートハウススクールを訪ねた時の様子 Photo by Getty Images

「自由」とは、「子どもの好き勝手にさせること」や「何でも子どもの言いなりになること」とは違う。モンテッソーリは、「自由」を「援助なしに行動ができること」と説明した。そして大人が子どもに関わるときのコツを、たった2文で表現する。「ひとりでできるように手伝って」「すべての不必要な援助は、発達の障害物になる」である。