元裁判官が抱く、裁判員制度10年報道への大いなる違和感

法的リテラシーの欠如した社会
瀬木 比呂志 プロフィール

増え続ける辞退率

さて、裁判員候補者の辞退率は、当初の53%から直近の67%まで14%も増えている。これについては、おそらく、制度自体に対する人々の疑問・疑念、また関心の低下が、第一の原因であろう。

これについては、勤務先の支援体制の不備が第一の原因と読めるような報道もあるのだが、率直にいって誤導ではないかと思う。確かに企業の制度不備もあるかもしれないが、もしもそれが第一原因というなら、「10年の間に企業の制度不備、非協力が徐々に高まってきた」という因果関係が必要なはずだ。しかし、もちろん、そんなことは考えにくい。

また、こうした問題は当然当初から予想できたはずなのだから、事前に制度的な手を打っておくべき事柄でもあった。

東京地裁前(Photo by Getty Images)

市民の司法参加の制度において、辞退率が半分を超えるということになれば、危機的状況である。さらに3分の2を超えるということになれば、少なくとも制度の大幅な見直しを行うべきなのが、制度設計の常識であり、法律家の常識であるのみならず、人々の、市民の常識にもかなったことなのではないだろうか。

詳細は僕の過去の書物や朝日新聞の言論サイト『論座』の論説に譲るが、僕が抱いてきたような疑問は、ヴェテラン法律家の間にかなり広くみられるものであって、むしろ、その中の正統的な自由主義者、保守主義者の共通意見に近い部分も多い。ただ、一般的には、「市民の司法参加」を錦の御旗のごとく掲げる裁判所当局や賛同者の意見しか大きく報道されることがない、というだけなのである。

たとえば、僕の書物とは相互に無関係に書かれた今村核(弁護士)『冤罪と裁判』〔講談社現代新書〕においても、裁判員制度については、おおむね同方向の記述がみられる。

そして、 裁判員制度に関する報道は、ごく小さな一つの例にすぎない。「法的・制度的リテラシーの不足」という問題は、無謀な戦争と敗戦、アメリカ主導民主主義のダブルスタンダードに対する認識の不足、バブル経済の崩壊、原発過酷事故とその後の原発なし崩し再稼働、異常な赤字国債と金融政策といった戦中戦後の日本の歴史全般に見え隠れする問題なのだ。


僕が、創作である『黒い巨塔 最高裁判所』〔講談社〕の表の部分のテーマとしている事柄も、こうした事態に深く関係している。

法的リテラシーの向上をめざして

2019年7月に、講談社現代新書から出す『民事裁判入門――裁判官は何を見ているのか』は、現代日本における民事訴訟実務の実際とそれを支える法的制度のエッセンス、また、広い意味での法的戦術の核心部分を、法学を学んだことのない一般読者にも理解できるように、できる限りわかりやすく、かつ正確、的確に解説する書物だが、併せて、ビジネスパースンや学生までをも含めた広範囲の読者、また、公務員等をも含めた広い意味での法律関係職種の方々の「法的リテラシー」を高めてもらうことをも目的として書かれている。

いいかえれば、本書は、「民事訴訟」という法や制度の非常に基礎的な部分に関しての、この「法的・制度的リテラシー」の不足という問題、また、先にもふれた近代法システムと日本人の法意識の間の「ずれ、溝」といった問題をも、第二の潜在的なテーマとしているのである。

さらに、本書は、この「法的リテラシーの洗練」という事柄と関連して、僕の基本的な考え方、アメリカ型経験論に基づく哲学的方法・思考方法であるプラグマティズムに基づきつつ、①法廷における事実と法律に関する弁論、②訴状・準備書面・判決等の書き方や読み方、③以上において必要とされる視点の客観性の確保、また視点の移動の必要性、④弁論や和解、また証人・当事者尋問等における説明、説得、質問の技術等の事柄に関連して、広く、コミュニケーション、プレゼンテーション、書くことの実践的な技術をも説くものとなっている。

こうした点についても、法律家や訴訟に興味をもつ人々のみならず、一般読者、ビジネスパースン、一般学生にも、広く参考にしていただける部分があるのではないかと考えている。

総合すれば、本書は、僕がこれまでの法律家・学者・著者生活で学んだ実践的、機能的な知恵と、物事を把握する方法論とを、民事訴訟手続についての解説を核として、語り、説き明かした書物ともいえる。

読者諸賢の一つの参考としていただければ幸いである。