元裁判官が抱く、裁判員制度10年報道への大いなる違和感

法的リテラシーの欠如した社会
瀬木 比呂志 プロフィール

国民、市民の司法参加という事柄自体の意味は、僕も否定しない。しかし、メディアが、制度設計に大きな問題のあったこの制度について、市民の司法参加の制度なのだから当然支持すべきだとか、問題があってもそれはとりあえず無視・軽視してもよい、などという態度で臨み、あるいはそれを暗黙の前提とするのであれば、賛成できない。

「刑事裁判にかかわる制度なのだから、その第一の目的は、刑事裁判制度の改善に置くべきだ」というのが、僕の基本的視点である。

市民の司法参加によって裁判所内も変更が加えられたが……(Photo by Getty Images)

ところが、日本における裁判員制度の目的については、①刑事裁判に市民感覚を反映することと併せ、②司法をより身近にすることにある、といわれている。②についていえば、人々の法教育ということと関連するのだろう。

しかし、裁判というのはきわめて厳粛なものであり、裁判員は、陪審員同様に、それなりの覚悟をもってこれに臨むべきだ。だから、司法をより身近にし、広い意味での法教育を行うための「手段」としてこうした重い制度を「利用」するというのであれば、そのような考え方には疑問を感じる。

市民の反応など信用していない?

裁判員制度のゆがみは、以下のような点に如実に表れている。

①第一に、一定範囲の重大事件すべてについて裁判員裁判を行う必要はなく、被告人が無罪を主張して争い、また市民の裁判を求める事案に限って市民参加の裁判を保障すれば、それで十分であり、また、それが適切である。

被告人が弁護人ともよく相談した結果有罪答弁をする場合に、実質的にはただ量刑を決めるだけのために裁判員を長期間拘束するのは、少なくとも、後記のように裁判員の辞退率がきわめて高い現在の日本の状況からすれば、合理的ではないように思う。
大体、量刑というのは、基本的に、マクロ的な醒めた目でみてゆくべきものだ。ただ1件しか担当しない重大事件の被害を目の当たりにすれば、ことに日本人の場合、どうしても重罰化に傾きがちになる。

重罰化の傾向には判例、上級審が歯止めをかけているという意見もあるが、法律家の常識からみても、裁判員裁判において重罰化の傾向が出てくることは重々わかっていたはずであって、「マッチポンプではないか」といわれても仕方がないだろう。

また、判例、上級審が強い歯止めをかけるということになれば、市民の意見尊重という掲げられた制度趣旨からは明らかに外れてくる。

②第二に、裁判員裁判の評決の方法がおかしい。

アメリカの刑事陪審は全員一致が原則であり、やはり陪審制のイギリスでは、少数意見がごくわずかなら評決が成立する。

これに対し、日本の裁判員裁判では、評決については過半数の多数決で結論が決まる。しかし、これでは、裁判官3名が全員有罪意見であった場合、6名の裁判員のうち4名が無罪意見(したがって裁判員は2名のみが有罪意見)でも有罪判決になるわけだし、死刑判決さえ可能である(以上につき、裁判員の参加する刑事裁判に関する法律67条)。


これでは、立案者たち、また裁判所当局は、市民の司法参加をいいながら実は市民の判断など少しも信用しておらず重きを置いていないといわなければならないだろう。
そもそも、市民の司法参加の目的には、人権の重視、冤罪の防止という要請も含まれているはずであり、そこにおける有罪判決、ことに死刑判決が多数決で可能というのは、これも非常識ではないだろうか(裁判官と参審員によって裁判を行うドイツ、フランスの参審制裁判でも有罪には3分の2以上の賛成が必要。なお、EU加盟国はラトヴィアを除き死刑を廃止している)。

死刑が冤罪であった場合には、それは、国家による殺人ということになる。その場合の問題は、はかりしれないほど大きい(瀬木、清水潔『裁判所の正体』〔新潮社〕第5章)。

裁判員の負担が重いから簡略化すべき、でいいのか?

③第三に、裁判員に課せられている守秘義務の範囲が広すぎ、また、違反した場合の刑罰が重すぎる(懲役まで含まれる。前記法108条)。守秘義務の対象は評議における意見の具体的な発言者氏名や個人のプライヴァシーに限定すべきであるし、刑罰、ことに懲役刑は非常識きわまりない。

これについても、最高裁が守秘義務の説明を改めたというのだが、説明を改めたといっても、その趣旨(条文の表現との関係)はあいまいだ。

僕自身、裁判員裁判に参加した人物から、「どうしてきちんとした法改正をしないのか。どこまで話していいか不明で、大きな不安を感じる。それに、参加を呼びかけながら一方では懲役刑でおどすというのは、人を馬鹿にした話だ」という意見を聞いたことがある。

④第四に、本当に市民を信頼し、6人もの裁判員を招集するというなら、合議体にさらに3人もの裁判官が入る必要はない。判事1人で十分であろう。

この点については、実は、①と併せて、「刑事系裁判官の維持・権益確保」という意図が見え隠れする問題なのだ(瀬木『絶望の裁判所』〔講談社現代新書〕第2章)。

なお、裁判員裁判における裁判員の負担が重いというのは、事実であろう。しかし、これについては、先のとおり、一定の重罪事件すべてについて裁判員裁判を行うことにしている不合理の結果という側面も大きい。また、無罪が主張される事件では、被告人側に十分に争う機会が与えられるべきことも当然だ。裁判員の負担が重いから審理を簡略化すべきだという意見には疑問がある。

もしも、どうしても負担が重いというなら、裁判員制度それ自体の是非を考え直す必要もあると思う。

「まず適正な裁判、刑事裁判制度の改善という要請があり、そのための一つの方法として裁判員制度があるはずであって、その逆ではない」からだ。本末転倒の議論になってきているなら、制度それ自体の是非をも含めて考えるべきだ。