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元裁判官が抱く、裁判員制度10年報道への大いなる違和感

法的リテラシーの欠如した社会
絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』で日本の司法のリアルな実態を浮き彫りにし、衝撃を与えてきた元裁判官の瀬木比呂志氏が、現代新書第3弾として、『民事裁判入門――裁判官は何を見ているのか』を2019年7月16日に刊行する。信頼できる弁護士の選び方から反対尋問のコツ、和解の弊害まで、裁判の奥義と核心を描き出した本書は、著者によれば、日本人の法的リテラシーの向上を願って書かれたものであるという。日本人の法的リテラシーとはどのようなものなのか? 裁判員制度ができて10年の報道を題材に、日本人と法について考える。

「『民事保全』って何ですか」

「法的リテラシー」、さらに広くいえば「法的・制度的リテラシー」というのは、僕の使っている和製英語だ。英語でいう「リーガルマインド」よりもベーシックな「法に関する基本的な知識・感覚・考え方」というほどの意味合いの言葉である。

この「法的リテラシー」の重要性については、僕が、裁判官をやりながら研究や執筆を続け、また裁判所から大学に移って、学界、ジャーナリズムや出版の世界等の広い日本の世界に起こる事柄を知り、さらに二度目の滞米在外研究を行い、そうした自己の体験について考える中で、重要な主題として浮かび上がってきたものだ。

僕は、もう10年以上前の裁判官時代に、アジアの某国(有名な国の一つです)から東京に研修にやってきたその国の法的エリートたちに、僕の専門の一つである民事保全法について講義を行ったことがある。

僕の講義が終わった後のその国の法的エリートたちの反応や質問は、驚くべきことに、次のようなものだった。

「民事訴訟法については我々も知っている。民事執行法についても理解はできる。判決が出ても従わない人々もいるのだから、民事執行法も必要でしょう。
でも、『民事保全』って何ですか? よくわかりません。どうして、本裁判があるのに、それやその執行に備えた仮の裁判なんか、さらにしなくちゃならないんですか?」

僕は、この反応に絶句してしまった。日本であればたとえば中学生がするような質問を、その国で最も高い知的レヴェルの人々がしているのだ。

確かに、民事保全(仮差押え、仮処分)という、本裁判の執行までの間被告側の財産等を仮に拘束したり、原発稼働差止めのように本裁判と同様の効果を仮に実現したりする法律は、難しい。

しかし、日本人であれば、正確な知識はなくとも、そういう裁判がある、ありうることやその必要性については、おおよそは理解できるだろう。でも、そうした法制度が全く存在しなかった国々では、法的エリートたちでさえ、講義を聴いてもなお、その明確なイメージをつかむことが難しいのだ。

誤解を避けるために強調しておくが、決して彼らの知的水準が低いというわけではない。知的水準が高くても想像ができない、ということなのだ。これが、僕のいう「法的・制度的リテラシー」の問題なのである。

近代法と日本人の法意識の間の大きな「ずれ、溝」

日本という国は、確かにアジア諸国の中では特異な国の一つで、鎖国下にありながら、相当に洗練された法制度をもっていた。しかし、明治時代にヨーロッパの法制度を採り入れる際に古い制度はほとんど御破算にしてしまったために、近代法システムと日本人の法意識の間には、大きな「ずれ、溝」が生じた。また、近代法システムや制度に関する日本人のリテラシーにも、今なお素朴、未熟な側面がある。


日本の社会がその洗練の度合いを高め、人々の一般的なモラルやリテラシーも向上してきているにもかかわらず、なお、そこに停滞の感覚や機能不全の感覚が残っている理由の一つを、僕は、この「法的・制度的リテラシーの不足」ということに求めたい。

裁判員制度の目的は何なのか

一例を挙げれば、裁判員制度10年に関連してのメディアの報道一つをとってみても、この「法的・制度的リテラシーの不足」という問題がそこに現れているように僕には思われるのだ。