田口淳之介はなぜ「土下座」をしたのか、誰に謝っていたのか?

日本社会を覆う「不寛容」の実態
原田 隆之 プロフィール

近年ますます、「自分たちは真面目に生きているのに、不真面目なことをしている連中はずるい、けしからん」と考える人々が増えている。

キャンバスが白ければ白いほど、小さな汚れやシミが目立ち、それを取り除かないと綺麗な白は維持できない。

こうして、神経質な不寛容が拡大する。不祥事を起こした芸能人の過去の出演作品やCDなどの回収騒動もその延長線上にある。

一方、海外でもセレブがドラッグを使ったという事件がたびたび起こるが、海外はなぜあんなに寛容なのだろうと疑問がもたれることが多い。

それはドラッグに対する意識の違いもあるだろうが、ルール違反全般に対しても、こうした社会的な「信念」の違いが大きく影響している。

ここで誤解してはいけないのは、何も犯罪を許容しよう、犯罪に対して寛容であろうと言っているのではない。

過度な「信念」にとらわれるあまり、罪を犯した人、過ちを犯した人に対して、法で定められた罰とは別に、社会が極度なバッシングをしたり、排除したりしようとする傾向に対する危うさを指摘しているのである。

 

再度、土下座の意味を問う

ここでもう一度、田口さんの土下座について考えてみると、彼自身も「公平社会信念」にとらわれていたために、社会的排除を恐れて、「ルールを破ったこんな僕ですが、どうぞ許してください。これからは正しい人間になります」という気持ちが高じたのであろう。

しかし、同じく「公平社会信念」を強く抱いている一般の人々は、「白い社会」を維持するために、異物を徹底的に排除しようとする一方である。土下座しても、その頭を踏みつけるようなことをする。

彼に土下座を強要したのは、このような日本社会に蔓延する「信念」であり、彼自身もその「罠」にとらわれていたために、過剰な土下座という行為に出てしまったのである。

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