2019.06.16
# 戦争

特攻を超える戦死率75%…その戦場を生き抜いた搭乗員は何を見たか

日本の敗戦を見通しながら戦い続けた
神立 尚紀 プロフィール

94機の大編隊による総攻撃

二次にわたる「ソ」作戦が一定の成果を挙げたと判断されたことから、戦爆連合の「セ」作戦が、6月16日に実施されることになった。参加兵力は、五八二空の進藤三郎少佐を総指揮官に、零戦70機、艦爆24機。進藤少佐は、昭和15(1940)年9月13日、中国大陸重慶上空で零戦のデビュー戦を指揮、27機撃墜、零戦の損失ゼロという伝説的な結果を残し、昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃でも第二次発進部隊の零戦隊総指揮官を務めたベテランの飛行隊長である。

ルンガ沖航空戦で零戦隊総指揮官を務めた五八二空飛行隊長・進藤三郎少佐の戦中と晩年(戦後の写真は撮影:神立尚紀)

作戦要領は、研究会で宮野大尉が提案した通り、戦闘機隊は制空隊、直掩隊、収容隊の3隊に分かれて艦爆による攻撃を最後まで掩護することになった。

6月16日、午前5時。ラバウル東飛行場の列線では、出撃に備えて、二〇四空の零戦24機が翼を連ねていた。宮野大尉の指揮する二〇四空零戦隊は、ラバウルから、さらに前進基地であるブイン基地に進出して、そこで五八二空の零戦16機、艦爆24機、二五一空の零戦8機と合流。ブイン離陸後は、さらにブカ基地から出撃する二五一空零戦隊22機と空中で集合して、九九艦爆隊を掩護しながら、ガダルカナル島ルンガ泊地の敵艦船の攻撃に向かう。

ルンガ沖航空戦の前日、ラバウル基地で整列する五八二空の艦爆搭乗員たち。後方に九九艦爆が並んでいる

茶色の飛行服に白いマフラーも凛々しい24名の搭乗員を前に、二〇四空司令・杉本丑衛大佐が簡潔な訓示を述べ、「成功を祈る」と締めくくった。続いて、宮野大尉が作戦要領を説明し、終わって、「各中隊かかれ!」と号令をかける。それを受けて、第二中隊長・森崎武予備中尉、第三中隊長・日高初男飛曹長が、それぞれ列機搭乗員の方に向き返ると、「かかれ!」と復唱する。搭乗員たちが敬礼して、踵を返しておのおのの乗機に向けて歩き出す。

 

いざ、出撃。搭乗員の士気がいやが上にも高まる一瞬である。が、そこで宮野大尉は、一人の搭乗員の手に目をとめた。この日、宮野の三番機として出撃することになっていた大原亮治さん(当時二飛曹)。前年10月、宮野とともにラバウルに進出して以来、抜群の素質と技倆を見込まれ、主要な作戦では常に指揮官機の列機を務めてきた、最愛の部下である。大原さんは前日、誤って左手の人差指をかなり深く切る怪我をして、手に包帯を巻いていたが、飛行手袋をつけられるようにと薄く巻いていたので、その包帯には少し血がにじんでいる。

「なんだ大原、その手は」
「ちょっと切り傷しましたが、大丈夫です」

逸る気持ちでその場を取り繕おうとした大原さんに、宮野はすぐさま、「だめだ、降りろ」と命じた。

「いや、大丈夫です」
「大丈夫と言ったって、これで7000も8000(メートル)も上がったら血を吹くぞ。今日はだめだ。お前は残れ」

なおも何かを言おうとする大原さんを制するかのように、宮野は、「交代員用意!」と、指揮所に向かって怒鳴った。交代要員としてライフジャケットをつけて待機していた橋本久英二飛曹が、機敏な動作で落下傘バンドを身につけると、駆け寄ってきて宮野に敬礼をした。

こうして、この日の宮野大尉の三番機は、大原さんから橋本二飛曹に替わることになった。いつも三番機として宮野大尉の右後ろの位置についてきた大原二飛曹は、一抹の不安を抱きながら編隊を見送った。

二〇四空宮野大尉の三番機だったが、この日、負傷で出撃できなかった大原亮治二飛曹(のち飛曹長)の戦中、戦後(戦後の写真は撮影:神立尚紀)

6時55分、零戦隊はブイン基地に着陸。ここで燃料補給、打ち合わせを済ませて、午前9時、指揮所前に全搭乗員が集合。第二十六航空戦隊司令官・上阪香苗少将、五八二空司令・山本栄大佐、そして空中総指揮官の進藤三郎少佐の訓示ののち、搭乗員は各々の乗機に向かう。

ルンガ沖航空戦当日、ブイン基地で、出撃前の最後の訓示をする進藤三郎少佐(左)。整列する搭乗員は、前列左から榎本政一一飛曹、竹中義彦飛曹長、鈴木宇三郎中尉(以上五八二空)、宮野善治郎大尉、森崎武予備中尉、日高初男飛曹長(撮影:守屋清さん)

「弁当は巻寿司弁当で、サイダー3本も配給になった。上空ではサイダーなんか飲めないから、飛行機の側で出撃を待つ間、整備員に1本やり、自分で2本飲んだ。上がったら食事の暇などなさそうだったし、今日は基地に帰ってこられないと思っていたから、弁当も地上で半分ぐらい食べた。艦爆の搭乗員は、暑いのに真青な顔をしていた」

と、八木隆次さん(当時二飛曹)は回想している。

午前10時、ブイン基地出撃。

五八二空庶務主任だった守屋清さん(当時主計中尉)は、大作戦に興奮を抑えられず、早朝から愛用のカメラ・セミプリンス(藤本写真工業製の蛇腹式スプリングカメラ)を手に、ブインの飛行場に出ていた。

守屋さんが見ている前で、進藤少佐機が滑走路の中央に出た。進藤機は、両翼に長銃身の20ミリ機銃、二号銃三型を装備した新型の零戦二二型甲である。機番号は173、濃緑色の機体の後部胴体に描かれた、「く」の字二本の黄色い指揮官標識が鮮やかに印象に残った。

発進準備を完了、まさに出撃せんとする、五八二空飛行隊長・進藤三郎少佐の乗機。機体の黄帯2本は指揮官標識

進藤少佐は、風防を開けたまま、司令官以下の見送りに軽く敬礼すると、白いマフラーを風になびかせて轟然と離陸滑走にうつった。

「同じ航空隊でも、零戦の搭乗員は整備員や主計科とは明らかに違う別格の存在感をもっていて、主計中尉ごときが気安く話しかけることのできないような雰囲気があった。威張っていたわけではなく、ただ、近寄りがたい殺気をみなぎらせていたんです。飛行隊長の進藤少佐にいたっては、雲の上の存在でした。私は憧れのスターを仰ぎ見るような気持ちで、離陸滑走に入った進藤機にカメラを向け、シャッターを切りました」(守屋さん)

ブイン基地で離陸滑走に移った進藤少佐機。尾翼の機番号は173(撮影:守屋清さん)
ブイン基地、宮野善治郎大尉乗機、最後の離陸(撮影:守屋清さん)

進藤少佐直率の五八二空16機、宮野善治郎大尉率いる二〇四空24機、香下孝中尉率いる二五一空8機の零戦隊に続いて、各機250キロ爆弾1発と60キロ爆弾2発をかかえた江間保大尉率いる五八二空の九九艦爆24機も離陸。ブカ基地から飛来した大野竹好中尉が率いる二五一空の零戦22機とブイン上空で合同し、合計94機の大編隊は、ガダルカナル島を目指して南東方向に向かって飛んでいった。

ルンガ沖航空戦当日、ブカ基地に整列、発進する二五一空の零戦搭乗員たち。前で敬礼しているのが指揮官・大野竹好中尉

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