評価には「量」と「質」のどちらが基準か、高崎山のサルに教わった話

東大教授に無茶ぶり「造形美」
佐倉 統 プロフィール

農薬の使用量を減らしたり、収量を増やせることは、とくに食料不足に悩む途上国の人々にとってはメリットが大きい。

選ばない権利というのは、選ばなくても生活が揺るがない環境下でのみ存在しうる、ある意味、贅沢なものとも言える。

誤解しないでいただきたいが、だからといって選ばない権利を批判しているわけではない。現代社会に生きる市民として当然の権利であると思う。しかし、そのような権利を持てる環境にある人たちが、持てない環境にある人たちのことを批判することはできないと思うのだ。

「質的研究」は客観的ではない?

話を定量的評価に戻そう。

このような問題が難しいのは、価値の問題だからだと先に述べた。価値の問題は定量的に評価することが難しい。さまざまな指標が工夫されているけれども、それらの指標が大多数の人を納得させられるかというとそうではない。

「量」の対義語は「質」である。定量的に測定しにくい属性に注目して研究する手法や考えかたを「質的研究」と言う。文化人類学や民俗学や、最近では看護、介護、障害学などの分野でも重要視されることが多い。

質的研究の歴史は、客観性や一般性をどう担保するかとの戦いの歴史でもあった。

アメリカの人類学者マーガレット・ミードが1920年代からおこなったサモア島の民族学的研究(最初の報告が『サモアの思春期』1928年)は、素朴で牧歌的なサモア島民の生態、とくに性関係を赤裸々に描いて欧米社会に衝撃を与えたが、そこで描かれた事柄はミードに情報を提供した現地人の創作であったことが後に判明して、さらなる衝撃を人類学界に与えた。さらにこの批判にも再批判がなされるなど、論争が論争を呼んで現在に至っている(論争についてのドキュメンタリー Margaret Mead and Samoa (1988) をYouTubeで見ることができる。ただし英語で、字幕はない)。

こういったことから「質的研究は『お話』だ」という批判は今でも根強いのだが、この批判もまた一面的であると思う。現象を量的に表すこと、さらにはその量的表現を人間が理解する能力に限界がある以上、質的な調査や研究も不可欠なのである。

両者は相反するものではなく、相補的なものなのだ。

そのことを示す事例を、ぼくが大学院で専攻した霊長類の生態学、いわゆるサル学に見てみよう。

名著を再読して驚愕

第二次大戦が終わると、日米欧、世界中でサルの生態学的研究が再開されるようになった。その中で、今西錦司率いる京都大学グループの仕事は、サルの行動の記録と社会構造の把握において質的研究(および擬人主義的アプローチ)の特徴がきわめて強く、それゆえにユニークなものだった。

サルたちの行動を「見たまま」にひたすら記述し、その背後にあるはずの社会構造をなかば直観的に類型化して描き出すのである。

はねっ返りの大学院生だったぼくは、「こんなん科学じゃない!」と反発し、アメリカの研究者たちの定量的な研究法についての論文を読みあさり、仮説検証型の研究スタイルを採用することこそ「科学」として必要なのだと鼻息荒く唱えていた(なお、ヨーロッパの動物行動学も初期には行動の質的記述が占める割合が高い。これはゲシュタルト心理学の影響が強かったからである)。

それはそれで必ずしも間違ってはいなかったと今でも思うが、状況をあまりにも単純化して一面しか見ていなかったのである。だいぶ後になって、初期日本サル学の名著、伊谷純一郎『高崎山のサル』(1954年)を読み直したとき、今西や伊谷らがサルの行動と社会を記述し背後の原理を把握するためにどれだけ考察を重ね深く考え抜いていたかを改めて理解し、驚愕したのである。

学生時代に何度も読んだ本である。だがその時は、こういったことがわからなかった。ただ単に、若き伊谷純一郎が野生のサルの群れを追って高崎山の森の中を苦心惨憺走り回る、なかば冒険活劇書のように受けとめていた。

科学的な方法論による現象の理解だけに注目していて、それ以外のアプローチを理解する余裕がなかったのだと思う。若気の至りとしか言いようがない(なので、大学の先生[含む、自分]は、学生の文献読解の詰めが甘くても、怒ったり嘆いたりしてはいけない)。

サルの行動や社会のように複雑な現象を記述し、解明するには、量的なアプローチだけでは不十分なのだ。そのことに最初気づいていた今西や伊谷は、だから徹底して非・量的な研究法にこだわった。『高崎山のサル』の行間からは、伊谷がなぜ質的なアプローチでないと駄目だと思っていたのかがひしひしと伝わってくる。

実際、彼らのこのような研究方法が適切だったことは、日本のサル学が国際的にも高く評価されていることから明らかである。伊谷純一郎は1984年に「人類学のノーベル賞」と称されるトーマス・ハクスリー・メダルを受賞した。また、過去12代の国際霊長類学会会長のうち、3人(西田利貞、山極寿一、松沢哲郎)が日本人である。

最近の霊長類学や動物行動学の教科書では、定量的なデータ収集と質的な方法論を適切に組み合わせることが必要であるとするものがほとんどだ。

量と質のバランス。当たり前のことだが、科学の世界がここに到達するまでの道のりは長かった。

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