「俗流歴史本」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る

井沢元彦氏の批判に答えて
呉座 勇一 プロフィール

3つの問題点

以上の三つの事例から、井沢氏の歴史研究の問題点が浮かび上がる。第一に、安土宗論に関する主張から分かるように、井沢氏は歴史学に関する正確な知識(この場合は、一次史料/二次史料の区別)を持たずに歴史学を批判している。

『孫子』の著名な言葉に「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」がある。確かに歴史学の研究手法は万能ではないが、それを批判し新しい方法論を提示するのであれば、まず歴史学の研究手法を正確に知るべきである。一知半解で批判しても、生産的な議論にはならない。

井沢氏は研究手法のみならず、歴史学界の研究成果も軽視している。いちいち挙げるとキリがないので紹介は控えるが、近著『日本史真髄』においても、歴史学界ではとっくの昔に否定された古い説を前提に議論している箇所が散見された。

 

井沢氏は『ポスト』5月17日・24日合併号に掲載された東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏との対談で(おそらく私の井沢説批判を念頭に置いて)「重箱の隅を突くように批判されても困ってしまう」と語っている。だが、歴史学は細かい事実解明を積み上げて歴史的真実に迫る学問である。大きく魅力的な「仮説」を提示できれば矛盾や間違いがあっても良いということにはならない。神は細部に宿るのである。

第二に、ケガレ移転説に見られるように、自説への批判に正面から向き合おうとしない姿勢である。井沢氏は連載最新の逆説1228回でも、持統天皇の火葬によって「首都流転の解消」が実現したと再説しているが、既述の通り、持統天皇以前に首都流転は解消している。

〔PHOTO〕Wikimedia Commons・跡見学園女子大学図書館蔵の持統天皇の肖像

難波遷都・大津遷都時も飛鳥京は第二の首都(『日本書記』は「倭京」と記す)として維持されており(複都制)、飛鳥時代後半に首都の固定化が実現している。井沢氏が私に反論したいのであれば、近年の考古学の成果に対する自身の見解を述べるべきだが、逆説1228回でもその点に全く言及していない。

ケガレ移転説の前提であった「首都流転」という従来の事実認識が考古学の成果によって覆ったと具体的に問題点を指摘しているのに、「歴史学界の宗教無視」やら「専門外の人間を見下す権威主義」などと論点をそらされては、まともな議論にならない。逆に言えば、まともな議論をする気など最初からないのだろう。

井沢氏は自身の「歴史ノンフィクション」を「日本通史学」と位置づけているが、いやしくも学問を名乗るなら、自説への批判に対して感謝した上で真摯に応答すべきである。