「俗流歴史本」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る

井沢元彦氏の批判に答えて
呉座 勇一 プロフィール

どうしても井沢氏が自説を堅持したいのなら、「〇〇宮から□□宮への遷宮はケガレが原因」といった形で、当該期に天皇代替わり(天皇崩御)を理由にしたと推定できる遷宮を一つひとつ列挙していくべきだろう。そうした地道な作業をせずに「日本歴史学界は宗教を無視している」などというレッテル貼りに走ることは許容できない。

ついでに、紙幅の関係で『週刊ポスト』4月19日号に触れられなかったことを一点指摘しておく。天武天皇が亡くなったのは686年、皇太子の草壁皇子の死去を受けて持統天皇が即位したのが689年、持統天皇が藤原京に遷都したのは694年である。藤原京遷都まで、天武天皇が亡くなった飛鳥浄御原宮を持統天皇は使い続けた。

天皇が亡くなると(天皇を火葬しない限り)ケガレによって宮が使えなくなるという井沢説が正しければ、持統天皇はなぜ8年間も飛鳥浄御原宮を使い続けたのだろうか。

藤原京が完成していないから仕方ないと井沢氏は抗弁するかもしれないが、この時期には飛鳥浄御原宮以外に仮宮(臨時の宮)が存在する。ケガレが怖いのなら持統天皇は仮宮に遷宮したはずだ。これまた井沢説では説明できない事象である。

 

『源氏物語』は「源氏鎮魂の書」か?

さて井沢氏は近著『日本史真髄』(小学館)で、『源氏物語』は源氏鎮魂の書であるとの「仮説」を唱えている。『逆説』1228回にその要旨が記されているので、引用させていただく。

「日本の平安時代、藤原氏はライバルの源氏を倒した後、その源氏の若者がヒーローとなって、あきらかに藤原氏と見られる一族に勝利する物語を、自分の陣営に属する女官紫式部に書かせた。『源氏物語』である。世界の常識であり得ないことが、日本ではある。それは無念の思いを抱いて死んだ敗者は丁重に鎮魂しなければならないという、怨霊信仰が日本の宗教の基本(その一つ)だからだ」

とのことである。

藤原氏がライバルの源氏を倒したというのは、969年の安和の変(源高明が藤原氏の陰謀により失脚した政変)を指すようだが、安和の変によって源氏が壊滅したわけではない。博覧強記の井沢氏がご存知ないとは思えないが念のため述べておくと、紫式部が仕えた彰子の母である倫子(道長の正室)は、源雅信の娘である。

ついでに言えば、道長の側室である明子は、安和の変で失脚した源高明の娘である。道長の時代、道長一門と源氏は縁戚関係にあり、紫式部が源氏を主人公にした物語を執筆することは不思議でも何でもない。

この件に限らず、井沢氏は何でもかんでも怨霊やケガレ、言霊といった呪術的概念で説明してしまう。井沢氏は「歴史学界は宗教を無視している」と批判するが、無視しているのではなく慎重なだけだ。結論ありきで強引に怨霊やケガレに結びつけるのは学問ではない。世間の興味を惹くオカルト的な話をひねり出す前に、常識的・合理的に説明がつかないかどうか検討するのが正道だろう。合理的な説明の余地がなくなって初めて、怨霊やケガレの可能性を考慮すべきである。