『いだてん』は、日本男子マラソン界の「無念の起源」を描いた傑作だ

視聴率一桁はあまりに勿体ない!
堀井 憲一郎 プロフィール

同世代の選手だからかもしれない。大学では3学年違っていたが(私がたくさん浪人をしたからだとおもわれる)瀬古選手は中高の学年でいえば一つ上である(柔道の山下選手と同い年)。あまりよく寝られず朝からテレビをみた。

テレビで見た夏の緑とロサンゼルスの風景を何となく覚えている。でもそれぐらいしか覚えていない。東京五輪やメキシコ五輪のときのように鮮烈には覚えてない。

瀬古は30kmくらいまでは先頭集団にいたはずだけど、あまり力強さが感じられず、あと10キロくらい残しているあたりで先頭集団から脱落しはじめた。あまりに衝撃的で、そのあとをよく覚えてないのだ。だめなのか、だめだたったのか、やっぱだめなのか、という悔しいおもいでいっぱいになって、自分を喪っていくような気分だった。

たしか宗兄弟のどっちかがそこそこ頑張ったのだけれど、そのへんの記憶も曖昧である。いまあらためて調べて、弟の宗猛が4位に入っていたのをおもいだした。4位というのが何ともいえないところである。瀬古の順位はまったく記憶していない。(14位だった)。

 

金栗四三の無念から続く、男子マラソンの「無念」

瀬古利彦は、その4年後の1988年のソウルオリンピックにも出場した。優勝するはずのモスクワから8年経っている。9位だった。

ソウルオリンピックでは、瀬古のライバルとして出てきた長身の中山竹通が4位だった。

中山竹通も強かったがオリンピックでは勝ちきれなかった選手で、この4年後の1992年のバルセロナオリンピックでも4位だった。2大会連続の4位。すごいといえばすごいが、残念といえばかなり残念である。

1992年のバルセロナではさほど注目されてなかった森下広一が2位で銀メダルを取った。1968年の君原と違って、最後まで韓国選手(黄選手)と優勝を競っていた。これは、ひょっとしてとおもって、息を詰めて見ていた。二人で並んで走り続けていたが、最後で突き放されて、やはり、という気分になってしまった。オリンピックのマラソンでは、いつもそういう気分に襲われる。

1992年バルセロナで期待していのは谷口浩美で、でも彼は前半の給水のときに靴を踏まれて転倒して靴が脱げた。それで優勝にからめなくなった。レース後の「こけちゃいました」とのコメントが印象的だった。谷口が脱落して、かなり気落ちして見ていた。

谷口浩美は前年の世界陸上の東京大会で優勝している。

このとき私は沿道まで見に行っていた。国立競技場すぐのところで見て、品川まで移動して見て、また競技場脇へ戻って谷口がトップで帰ってくのをみた。「にっぽんいち!」と声をかけたらうしろの見知らぬおっさんに「世界一だよ」と言われた。おら、ただ、江戸っ子っぽく江戸のころに流行っていた日本一という言葉がいいたかっただけなんだな。あそこで世界一と言わなかったのがいけなかったのかもしれない。

この1992年バルセロナのマラソンが、優勝を念じた最後の大会になった。1964年の東京大会以来、不思議におもいつめた気持ちで見ていたのはここまでである。そのぶん気楽に見られるようになった。オリンピック前から世界に名を轟かせる選手をあまり見かけなくなたっということでもある。

どうやらオリンピックの男子マラソンを見るたびに、「円谷幸吉と瀬古利彦の無念さ」を感じ続けていた、ということのようだ。

『いだてん』を見ていると、それは「1916年ベルリン不参加の金栗四三の無念」から発祥しているような気がしてしまう。ふしぎな気分である。