『いだてん』は、日本男子マラソン界の「無念の起源」を描いた傑作だ

視聴率一桁はあまりに勿体ない!
堀井 憲一郎 プロフィール

あんなに期待されていたのに…

1976年のモントリオールオリンピックのマラソンでは宗兄弟の兄・茂が出場したが、20位だった。

そして1980年のモスクワオリンピックのマラソン。

日本代表は瀬古選手と、この双子の宗兄弟だった。すごく強そうなメンバーである。

瀬古利彦の優勝は疑っていなかったが、宗兄弟も優勝にからんでくるのではないかと期待していた。多くの人がそういう期待をしていたのじゃないだろうか。

双子の宗兄弟は一緒にレースに出ると強いと言われていて、モントリオールは兄だけしか出てなかったから敗れたのだという話もあった。だから、世界最強の瀬古に、宗茂・宗猛がからむと、メダルの複数が可能だともおもっていた。1位2位3位の独占ではなくて、1位は瀬古で、2位ソ連のチェルピンスキーが入ってきそうだけれど、3位に宗兄弟のどっちかが入るんではないか、という予想していたのだ。いま予想しても、ちょっとわくわくするが、なかなかむなしいわくわくである。

 

アフガニスタンでのソ連侵攻に抗議して、モスクワオリンピックは「西側諸国」がボイコットした。世界は東と西に分けられて、とても政治的な季節だったのだ。アメリカにとってソ連は明確な敵だった。スパイ映画ではソ連はきちんと敵国だった。

「モスクワオリンピックに出場していたら金メダルが確実だった日本選手」には、このマラソンの瀬古と、あと柔道の山下泰裕選手、レスリングの高田祐二選手の3人がおもいうかぶ。政治的な理由で出られないことに抗議したニュースでの高田選手の涙が忘れられない。高田選手はモントリオールで金メダルを取っていて、連覇を狙っていた。4年後のロサンゼルスに出場したが銅メダルだった。でも、いちおうオリンピックメダルを2つ取っていることになる。

山下泰裕は、次のロサンゼルスオリンピックで足を痛めつつも金メダルを獲得した。感動的な金メダルだった。

瀬古利彦は、しかしロサンゼルスでメダルが取れず、その次のソウルでも取れず、ついにオリンピックで勝つことがなかった。世界最強と言われながらも、いくつかの不運が重なってオリンピックメダルを取れなかった。金栗四三と少しだぶってしまう。

ロサンゼルスオリンピックのマラソンは、1984年の8月12日におこなわれた。日本では13日月曜の朝スタートで、何だか夏らしい日だった。

私は、瀬古のマラソンのことを考えて前日からよく寝られなかった。なぜだかはよくわからない。でも瀬古に優勝して欲しくて欲しくて、そのために寝られなかったのだ。そんなことはあとにも先にもこのときぎりである。