帰りのバスの中、疲れでしばしうとうとしてから目を覚ますと、隣の席でKさんがスマホを見ていた。
前述のようにKさんは対文協(朝鮮対外文化連絡協会)日本局の職員で、今回、私が訪朝した1週間にわたって、案内に通訳にと本当によく面倒を見てくれた。もちろん、彼や対文協の存在を、私の「監視役」として描くことも可能だし、まぎれもなくそれも任務の1つだろうが、一方で、「この国の今」を私に見せようと頑張っていることも事実だ。おかげで、いろいろなところを視察することができた。
もちろん、「朝鮮労働党本部の中枢を見せてほしい」などと頼んでも断られるのは間違いないが、さまざまな調整の末、テソン百貨店や軍事境界線の訪問など、私の希望を実現させてくれた。
ちなみに対文協の日本局には、局長以下7人の局員が所属している。「対日政策のエキスパートですね」と言うと、彼らは「いやいや、我々は単なる通訳です」などと謙遜するが、日朝交渉のさまざまな場面で重要な任務を果たしてきた優秀な面々でもある。
中でもKさんは、1991年に平壌外国語大学を卒業して対文協に入ったそうで、日本流にいえば、私とは「社会人同期」になる。そんなこともあって親しみも感じ、比較的自由なやり取りをさせてもらっていた。
そのKさんがしきりとスマホをいじっているので、雑談交じりに聞いてみた。
──Kさん、スマホはいつもメールのやり取りに使っているんですか?
「ええ、メールにも使いますよ」
──他には何に使う?
「もちろん電話に使いますし、写真を撮ったり、辞書機能を使ったり……。あと、ゲームもできます。私はやりませんけど」
──いろいろなことをスマホで検索して調べたりもしますか?
「はぁ? 検索って何ですか?」
Kさんはきょとんとして首を傾げている。なるほど、そうか……と私は思った。要するに、この国では一般にインターネットへの接続はできないのだ。メールの送受信には対文協のイントラネットを使っているらしい。
それ以外はあまり日本と変わらないのだろうか。カメラ機能もよく使われているようだ。少なくとも平壌市内では、スマホで写真を撮る人々の姿は珍しくない。
Kさんにゲームアプリも起動してもらった。ざっくりした印象は、「スーパーマリオ」の朝鮮版という感じだった。
「労働新聞のアプリもありますよ。労働新聞や朝鮮中央放送のニュースが更新されると、これで読めます。私は紙で労働新聞を読みますが、子供たちはアプリで見るようです」
彼の話を聞いて、どの国でもデジタルに関する世代のギャップは似たようなものかな、と思った。私も自分の子供が紙の新聞を読んでいるところを見たことがない。まあ、ニュースに接しているかどうかもわからないが……。
実は、今回の訪朝で最も驚いたのは、ホテルでWi-Fiサービスが始まっていたことだった。私が宿泊したのは「ポトンガン(普通江)ホテル」という外国人用の高級ホテルだ。
だからWi-Fiは外国人向けサービスと言ってよい。ただし、1年前は存在していなかったものだ。
ホテルに到着した日、フロントでWi-Fiサービスを使いたいと頼んでみた。
やり方は、まず、どのくらい接続したいか希望時間をフロントに伝える。10分間で1.4米ドルだという。私は試しにやってみたいだけだったので、最短の10分間で申し込んだ。
次に、接続したい端末(私の場合は自分のスマホ)をフロントに渡す。それにIDやパスワードを打ち込むのだが、フロントのスタッフが行う作業になっており、中身はこちらに教えてくれない。そしてようやくスマホを返される。
こうして申し込んだホテルのWi-Fi経由で、いったい何につながるだろうか。さっそく試してみたが、まず、グーグルはつながらない。これは中国も同じだが、使用が規制されているからだ。
すぐに読めたのはヤフーニュースだった。記事が次々と入ってくる。
LINEはどうだろうか? 毎週、コラムを書かせてもらっている日刊ゲンダイの米田龍也文化部長にメッセージを送ってみた。
すぐに米田氏から「おー、平壌で繋がるとは!」とメッセージが届き、その直後、10分の接続時間が終わった。
限定的にではあるにせよWi-Fiが使えるようになったことも、この国の確かな変化の1つだと思う。しかし、その見方には次のような批判もあるだろう。
「Wi-Fiが使えるようになったといっても、外国人が一部のホテルで使えるようになっただけではないか。そんな些細なことの何が変化なのか?」
日本のように、常に膨大な情報が飛び交っている社会と違い、この国では、ごく小さな事象の背後に巨大な潮流が隠れていることが少なくない。上記のような批判に対しては、「些細な変化に注意を払わぬ者は、重要な変革のサインに目を閉ざしており、いつまでもこの国をきちんと見ることはできないだろう」と応じるしかない。
当然ながら、Wi-Fiのたった一事をもって、国が改革と開放へ向かって全面的に舵を切ったとまで断言するつもりはない。ただ、科学技術や情報技術の導入・教育にかなり力を入れ始めていることは、他でも実感した。