私が一橋大学の教員を辞めた理由〜国立大に翻弄された苦しい日々

ある大学教授の告白
河野 真太郎 プロフィール

その後私は、自分なりに状況を改善させる努力をしたつもりだが、後述する2015年を経て大学の内外の状況は悪化の一途を辿り、「お前(たち)はいらない」というあのメッセージは、結局私の頭からぬぐい去られることはなく、現在にいたる。それが、私の背中を押したのである。

では、なぜ座長は「お前(たち)はいらない」というメッセージを発したのか。その背景には、この30年間で起きた大学の大きな変化がある。話の鍵は、「旧教養課程」という一語である。経緯を振り返ろう。

 

大綱化=規制緩和?

「旧教養」というワードは、奇しくも「平成」とほぼ一致するここ30年間の大学改革の歴史にとって中心的な重要性を持っていると、私は考えている。以下は、ここ30年間の国立大学にとって重要な項目のみをピックアップした年表である。

1991年 大学設置基準の大綱化
1996年 東京大学教養学部再編・大学院重点化
一橋大学大学院言語社会研究科発足(学部化はされず)
2004年 国立大学の法人化(国立大学法人法)
2015年 国立大学法人法改正(「ガバナンス」の強調、教授会の議決権剥奪)
2015年6月 文部科学大臣通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」(文系取り潰し?)

当面の出発点となったのは1991年の「大綱化」である。大綱化とは聞き慣れない言葉であろう。私も、どう説明すべきかと思い、英語にはどう訳せるのか調べたことがある。すると、大学評価・学位授与機構の英文資料では、なんのことはない、deregulationと訳されているのである。つまり、規制緩和である。

この時に緩和された規制とはなんだったか。それは一般教育(教養教育)と専門教育との区分だった。それまで大学では、2年間の「教養教育」、その後の「専門教育」の区分が義務化されていた。大学設置基準の大綱化は、その区分を、かならずしもしなくてもよいとしたのである。

これは決して、教養と専門の区別を「禁止」するものではなかった。だが、親方(文部省/文科省)にへつらう日本の大学らしく、各大学は雪崩をうって教養部を解体していったのだ(東大の教養学部は例外だろう)。

一橋大学はそのひとつの典型だった。かつて教養部に所属していた教員は、あらためて学部、というより正確には大学院所属に振り分けられた。一橋は商・経・法・社の四学部だが、形の上ではそれらの学部・大学院に所属しつつ、実質上はたとえば一年生に英語を教えるといった従来の教養教育を受け持つという、奇妙な形の教員ポストが生まれたのである。