講談社の「天皇」野間清治の跡取りをめぐる、家族の苦悩

大衆は神である(54)
魚住 昭 プロフィール

清治は彼女を「その主人思いと、仕事を愛する気持ちはまことに立派なものだ」と賞讃し、つねが亡くなったとき、盛大な葬儀を谷中斎場で行った。

そのうえ、身よりのない彼女の長年にわたる忠勤に報いるため、自分の甥の高木賢次(高木義賢の息子)に住永の名跡を継がせた。高木賢次はまったく血のつながりのない住永に改姓させられたわけである。

これは、たとえ血のつながりがなくとも、名跡、つまり家名の継承自体に意味があるという考え方のあらわれだろう。この考え方は、清治と恒の病没後、ひとり残された左衛が講談社の後継者を決める際、重要なポイントになるので留意しておいていただきたい。

 

スペアにして弾丸除け

寅雄の話に戻ろう。音羽に引き取られた寅雄は恒とともに剣道の練習や、少年部での修養をつづけた。しかし、1年、2年と東京で暮らすうち、寂しさや疎外感の入り混じった複雑な思いを抱え込むようになったらしい。寅雄が小学4〜5年のころ、こんな騒動が出来した。

ある日、桐生の善次郎と保(寅雄の両親)が上京してきた。清治が千葉県の三門(みかど・現いすみ市)に別荘を買ったというので、それを見に来たのである。善次郎夫妻はいったん音羽に寄った後、清治夫妻と恒の5人で三門に出かけた。寅雄は学校があるので連れて行かなかった。

これに寅雄はひどく腹を立て、家出した。雨が降っている夜だった。音羽邸で皆が大騒ぎをしている最中、びしょ濡れになった寅雄が講談社の剣道師範・増田真助の自宅前にひょっこり姿を現した。寅雄は「僕だけ除(の)け者にして面白くないから、出てきた」と言った。増田は「そんなことをしてはいけない」とよく言い聞かせ、音羽邸に連れ帰ったという。

このエピソードが物語るのは、少年寅雄の心中にあったコンプレックスである。実の両親に甘えたいのに甘えさせてもらえない。伯父夫婦は恒の弟のように可愛がってくれるが、恒は野間家の跡を継ぐ、特別な存在だ。自分はどこまでいっても恒のスペアにすぎない……。

現代の読者にはにわかに信じられない話だろうが、善次郎の証言によると、清治は寅雄を「恒の弾丸除けにする心算で仕込んで」いた。善次郎も寅雄に「恒の身代わりになれ、なれ」と言いきかせ、本人もその気になっていたという。