講談社の「天皇」野間清治の跡取りをめぐる、家族の苦悩

大衆は神である(54)
魚住 昭 プロフィール

「友だちの味というものがわからない」

夕方になると、恒は大内らを伴って銀座や、その周辺の料理店を食べ歩きした。

なかでも恒が熱心に通ったのは、ドイツ人経営のラインゴールドという小さなビヤホールだった。恒は、その店の、ある女給にひそかに思いを寄せていた。

が、”野間王国の皇太子”である恒に事実上、恋愛の自由はなく、その女給とは深い関係にまでは至らなかったようだ。恒の身辺にはつねに清治の目が光っていたし、恒のほうも清治に反抗するような素振りはまったくといっていいほど見せなかった。

ふだん、恒が自宅に帰り着くのは夜の9時か10時ごろだった。早速、清治の部屋に行き、その日あったことを報告する。すると、左衛も加わっての雑談が始まる。清治にとっては、この雑談が恒に対する教育の時間だった。人の噂話や世間の裏表についての話に、必ず事業の心得や修養の教訓をまじえながら、夜中の2時ごろまで毎日のように話し込んだ。

恒は報知新聞の幹部に「あなたは学校に行かれずに、両親の家庭教育で満足しておられるのですか」と聞かれたことがある。そのとき、恒はこう答えた。

「私はこれで十分だと思っています。ただ学校に行かないものだから、本当の友だちがないことには閉口です。講談社に大勢いるけれど、みんな友だちでなく主人扱いをするものだから、友だちの味というものがわからない。学校に行った人たちの卒業後も親しい交わりを見ていると、ああ、これは学校に行っているとよかったと思います」

 

曾祖父の名にちなんで

翌昭和7年春、のちに「昭和の武蔵」の異名で剣道界のレジェンドとなり、講談社の歴史の隠れたキーパーソンともなる森寅雄(当時19歳)が報知に社会部記者として入社する。

寅雄は、桐生野間家の4男で、清治の甥である。9歳のとき、音羽にひきとられ、5つ上の恒の弟のようにして育てられた。

これまでにも何度かふれたように、桐生野間家と清治一家の関係は深い。それは、単に清治と保(やす)の兄妹仲がよかったからというのでなく、兄妹の悲願が、維新で没落した家――父方が野間家、母方が森家――の再興という点でぴったり一致していたからである。