元エリート官僚の息子殺害…親として「正義スイッチ」が入ったのか

ひきこもり高齢化が進む社会で
井戸 まさえ プロフィール

30年遅れた発達障害者支援法

前述通り、熊澤英一郎さんは自らがアスペルガー症候群であったと言っている。それが妥当かどうかの判断を持ち得ないが、生きにくさを感じていたことは間違いないだろう。

平成期、子どもたちの育ちをめぐる環境の中で最も進歩した分野が、いわゆる高機能自閉症、アスペルガー症候群、ADHD、LDといった軽度発達障害の分野だ。

 

主に心の問題だとされていた自閉症も、脳神経の分野が深くかかわっていることがわかるなど、その医学的進歩は目覚ましいものがあり、また、支援プログラム等の研究も広がった。

2005年には発達障害者支援法が成立した。その進歩の受け皿となるべき療育体制は15年経った今も十分とは言えないが、社会の理解も含めてそれ以前に比べれば格段の違いだ。

現在、20代後半の人々はギリギリ、この支援法の成立の恩恵を受けられた世代になる。法の制定前後から文科省のモデル事業等も行われ、対象の児童生徒には試行錯誤ながらも支援の手が差し伸べられるようになった。

しかし、1975年生まれ、「ポスト団塊ジュニア」と言われる熊澤英一郎さんの世代に対してはこうした支援どころか、生きづらさを抱える子どもたちの存在に対しての理解もそもそも「発達障害」に関しての認識も薄かった時代に多感な時期を過ごさなければならなかった。

発達障害者支援法が実際の制定より30年早くできていれば、英一郎さんの家族も含めて、子どもの生きづらさに対する理解が多少なりとも深まり、子どもの得意不得意を見極めた上で、親の価値観の押し付けではなく、個性にあった教育等、選択肢は広がっていたかもしれない。

発達障害児に最も大切な時期は、義務教育ではカバーできない幼児期と、義務教育を終えて社会に出るまで、つまり高等学校期であるともされる。

しかし、熊澤英一郎さんの場合のように、中高一貫教育で友人等の環境も変わらない中でその大事な時期を迎えなければならなかったことは、二重三重にねじれた中で生きざるを得なかったことを示してもいる。

(もちろん、発達障害者が事件を起こしたり、被害を受けたりするわけではないことは前提として書いている)