元エリート官僚の息子殺害…親として「正義スイッチ」が入ったのか

ひきこもり高齢化が進む社会で
井戸 まさえ プロフィール

もちろん、高齢となった親に対して暴力を振るう息子に対し「やらなければやられると思った」というのだから英昭容疑者が相当に追い込まれていたことは確かだろう。

一方で、小学校の運動会に乗り込んでいって危害を加えるといったことはどこまで現実的だったのか。エリートの親にありがちな押し付けや先回りがここでも行われたのではないかという疑念に対しては、もはや検証することもできないのだが……。

 

「正義スイッチ」が入った元事務次官

男性の育児や地域コミュニティへの参加等を研究しているある専門家は、元事務次官は川崎登戸事件の報道に接した際に「正義スイッチ」が入ったのでは、と指摘する。

つまり、「このままでは自分たちが殺される」と言った恐怖から、自分が子どもに対して殺意を持つことに対して多少なりとのためらいや罪悪感を持つことを、「社会のため」「他人を犠牲にしてはならない」「人様に迷惑をかけることを回避しなければ」という「社会正義」に置き換える。

この「正義スイッチ」を押すことによって、40代半ばに至っても定職に就かず家庭内暴力を振るう息子を「認めることができず」「恥ずかしいと思い」「いなくなってほしいとさえ願っている」といった自分を正当化し、殺人という蛮行にも肯定的な意味を持たせることが可能になる。

つまり、「理屈」が立つことで自分のプライドも保つことができたからこそ、決行できたのではないか、と。

それは最後まで自分の「理想の息子」とは遠く離れた現実の息子を、受け入れることができなかったことでもある。

もちろん、愛情を持って育てたことに違いがないだろうが、その愛が子どものためというよりも、親の自己愛の延長線上か否かを子どもは敏感に感じ取っていたからこそ、親子関係はねじれ、こじれ、事件に至ったのだろう。