「僕も一緒にボクシングをしたい」
「どうすれば尚弥選手のように育ちますか」
ときおり、後楽園ホールなどでそう声をかけられます。その都度、腕を組んで自分なりに考えを巡らせてみますが、簡単に言い切れるような言葉は思い浮かびません。
「小さなときから毎日コツコツと積み上げた努力の結果でしょうか」
「尚が素直について来たからでしょうか」
そう答えても漠然としているためか、うまく伝わらないようです。
意外と思われるかもしれませんが、自分は子どもたちにボクシングを「やらせたい」と思ったことは一度もありません。脳や肉体へとダメージを与え与えられて競い合う特殊な競技です。減量もあります。自分の愛する子どもたちが傷つく姿を見たいと思う親御さんはいないでしょう。自分も同じ気持ちです。
それでも自分はボクシングが大好きです。アマチュアですが、2戦2勝の戦績を残しています。
とはいえ、ボクシングに専念できる環境ではありませんでした。すでに尚弥は生まれ、弟の拓真もお腹の中でした。「明成塗装」を立ち上げ、若輩ながら親方として奮闘していた時期でもありました。仕事と家庭のバランスを考えるのもやっとこさであるのに、さらにボクシングも加わるのです。今振り返るとこの時期が最も忙しかった時代でした。
それでも強くなりたいと願い、時間を見つけては練習をしていました。振り返ってみると、練習の時間が限られていたからこそ、徹底して基礎が身についたのだと思います。

いつものように休日に一人で練習をしていたときのことです。
「僕も父さんとボクシングを一緒にやりたい」
尚弥がそう言ったのです。まだ小さいので言葉は乏しいですが、表情や目を見れば本気で語っていることは伝わってきます。幼くとも人格を持った一人の人間なのです。6歳の少年でも自分で決定を下す意志を持っているのです。
「ボクシングは甘いスポーツじゃないよ、それでもできるの?」
尚弥の目をじっと見つめ語りかけました。うん、と頷きます。自分は尚弥をじっと見つめて言葉を続けました。
「父さんはボクシングに噓をつきたくないから一生懸命やっているんだ。尚もボクシングに噓をつかないと約束できるか。練習がどんなに辛くてもやり通せるか」。
尚弥は頰を真っ赤にさせて返してきました。
「うん。お父さんと一緒にやりたい」。
それを受けて、自分は「親と子」ではなく「男対男」としての約束をしました。
「よし、それならお父さんと一緒にやろう。でも本当にできるのか? 明日になったらもう嫌だ、と言うなら父さんは教えないよ」。
「ボクシングをするなら『でも』『だって』も言っちゃダメだからな」
まだ子どもとはいえ、自分で選んだ道です。その覚悟を示してもらうためにも言い訳は禁じました。できないことを他人のせいにしない。自分で決定を下した以上、そこに責任は発生することを知ってもらいたかったのです。
「うん、わかった」