もちろん現代が舞台のこともある。とくに2001年から2005年ころ、ずっと現代劇が続いた時代があった(『ほんまもん』『さくら』『まんてん』『こころ』、ひとつ飛ばして『天花』『わかば』『ファイト』『風のハルカ』あたり)。
現代劇だと「時代」は描かれない。おそらく「時代風景」の代わりに「地方の風景」で何とかしようとしていたのだろう。ただそれがあまりうまく行ったような気がしない。
2010年代に入って、ふたたび「昔の時代」を背景にするドラマに戻った。例外として『てっぱん』『純と愛』『まれ』『あまちゃん』などの現代劇もあったが、基本は、「現代につなが近過去路線」を踏襲している。
『なつぞら』も同じである。
この100作記念作品は、空襲で両親がなくなるところから始まった(いっとう最初のシーンは北海道の草原で写生しているところだったがそれは1分だけ、すぐに昭和20年へと話は飛んだ)。戦災孤児となり、焼け跡で苦労し、他人の家に引き取られる主人公の姿は、昭和20年から21年の世相そのものである。
そのあと舞台は北海道に移った。
そこで主人公の少女はいろいろと苦労した。
ただ、北海道の十勝が舞台である。ものが足りなかったり、いろんなものが手作りだったりするが、それは田舎の生活だからなのか、物がない時代世相の反映なのか、ちょっとわからなかった。やや「世俗を離れた生活」だった。もちろんこれはこれで心の琴線に触れたのだが、時代世相の反映が中心にあったわけではない。
高校を卒業して、主人公のなつは東京へ出て来た。
昭和31年。しかも住んでいるのは新宿の、まん真ん中のようだ。
時代の香りが強く出そうなところだが、あまり描かれない。
昭和31年、1956年の新宿があまり描かれない。
ここのところで言えば、時代世相が出てきたのは、主人公の兄が「神武景気もここまでは来ないか」と飲み屋の入口でさらっと悪口を言ったときと、映画会社の社長がこの兄を指して「あんな愚連隊だか、太陽族だかわからないような不良の兄がいる子」と言うセリフの「太陽族」くらいで、どちらも説明がない。「神武景気」や「太陽族」に対しての知識がなければ聞き流してしまうしかない。ここのところの朝ドラでは、背景説明をナレーションでしてくれることがあったが、そういうサービスもない。
時代世相に風俗も描いているが、あまりそちらに気を取られないよう、わかる人だけがわかっていちいち説明はしない、という方針のようである。