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「専門化」こそが社会を閉塞させる――タコツボ・シンドロームの罠

成功報酬が実力主義の弊害となる

専門化が高度な文明を発展させたがその弊害も大きい

人類学的な表現をすれば「部族社会」、わかりやすい言葉で言えば、かつて(現在でも一部の地域で)「狩猟採集民族」として生きていた人々の小集団においては、「分業」がほとんど行われていなかった。

例えば、衣服を製造するだけの職人とか、踊りや歌だけを披露する芸能人などの独立した職業など無かった。

すべての人々が、食料を獲得する狩猟や採集の片手間に、服を作ったり歌ったり踊ったりしていたのだ。

よく言われるように、農耕が始まってそのような余剰生産物を「保存」(狩りの獲物にも余剰が出ることはあったが、保存できなかったのでその場で配った)できるようになって初めて、服を作ったり、歌ったり踊ったりする、食料獲得に関わらない「専門家」という「余剰人員」を養うことができるようになったのだ。

人類が、現在のような高度な文明社会を維持できるのはこの食糧などの「余剰」とそれを「交換」する高度なシステムのおかげだが、「交換」の意義については、「繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史」(マット・リドレー著、早川書房)に関する筆者の書評などを参考にしていただきたい。

 

分業・専門化が現代社会の基礎をなしていることは、次のような事例をイメージしてみればすぐにわかるはずだ。

例えば、自給自足の脳外科医がいたとしよう。患者が手術室に入ろうとすると、野良着のまま廊下を歩いてくる男がいる。この農夫が数分後に白衣に着替えて自分の頭蓋骨をドリルやのこぎりで切り開くとしたらちょっとしたホラーだろう。

また、殺人の罪で起訴された冤罪の人物が弁護士事務所を訪問すると、その弁護士は本業のコンビニ店長としてのシフトのために不在であった……依頼人は、自分の命が風前の灯であると感じるだろう……。