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# 日本経済

日本人の「本当の豊かさ」を決めるのはGDPの多い・少ないではない

老後不安の日本人に知ってほしい

GDPとは何ぞや?

GDP(国内総生産)とはいったい何か? という問いに対して、極めてシンプルに答えれば「ある国が生み出す富の総量(経済的産出量の合計)を表す数字」と答えることができるだろう。

さて、マルクス経済学だろうが、近代経済学だろうが、はたまた行動経済学であろうが、現在の経済学の源流がアダム・スミスにあることは否定できないはずだ。

そのアダム・スミスの著書として有名な「国富論」(1776年)の原著の正式なタイトルは「An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations 」で、「諸国民の富の性質と諸原因についての研究」などと訳されるし、「諸国民の富」というタイトルでも刊行されてきた。

この「国富論」は、実はアダム・スミスの本業である道徳哲学(ハリー・ポッターの撮影が行われたことで有名なグラスゴー大学の道徳哲学の教授であった)の著書である「道徳感情論」(1759年)の、人間の経済に関わる考察を詳しく書き記すために企画された。

したがって「国富論」は、「道徳感情論」の別冊なのだが、そのあたりの議論は、筆者の論文:「『国富論』と『道徳感情論』に還る【経済学ルネサンス】」などを参照いただくとして、話を前に進める。

例えば、近代経済学では、「合理的経済人」なる「金で動く守銭奴」が、人間の経済活動のモデルだとされているが、そんなことがありえないことは読者にもすぐにわかるはずである。

たくさんの収入(お金)は欲しいけれども、「自分の尊厳や家族の心を傷つけてまで高収入の仕事を選ぶ」人は、実のところそれほど多くない。

経済学の祖とも言えるアダム・スミスが、「人間の心」(道徳哲学)を真摯に研究した結果生まれたのが「経済学」ということは極めて重要だ。「経済」とは人間の精神・社会活動の一部にしか過ぎないということである。

 

戦後、非GDPをGDPに変えることで経済規模が拡大

筆者が子供の頃すでに、結婚式や葬儀を自宅で執り行う人々は見かけなくなっていたが、戦前にはごく当たり前のことであった。また、お通夜や故人をしのぶ会食は、当時でも自宅で普通に行っていた。

ちなみに、筆者は病院ではなく産婆さんの手を借りて自宅で生まれている。当時は別に珍しいことではなかった。個人の自宅で行う行為が賃金・金銭に換算されて、GDPに貢献する度合いは低い。

ところが、今や「冠婚葬祭」は巨大なビジネスであり、これらのビジネスに関わる上場企業も多数存在する。また、今では「子供は病院で生まれるもの」と相場が決まっているが、病院を含む医療も巨大ビジネスであり、健康保険料が国民負担で賄いきれないほどになっている。

その他にも、食事は家でするのが当たり前であったが、外食が急速に普及したり、ワイシャツのクリーニングどころかすべての洗濯物の代行業者など、かつて家の中でGDPを生まずに行われていたことが、家の外で産業して成立することによっていわゆるGDPは急速に増加した。

しかし、このような形でGDPが増えることによって「諸国民の富」は本当に増えたのだろうか?

結婚式場で結婚式をあげるようになったのは、特に都市部で自宅に多数の客を呼ぶことができるスペースがなくなったということが理由の1つだが、それはむしろ「住環境の悪化」という不幸なことではないのか?