IT立国・ルワンダの首都を牛耳る中国人経営者たちの野心と本心

安田峰俊・チャイナフリカを往く②

『八九六四』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した気鋭のノンフィクションライター・安田峰俊が、アフリカ大陸に進出する中国の実態を調査しに、「アフリカのシンガポール」と呼ばれるルワンダへと渡るルポルタージュ。第二回目は、ルワンダで巨大な縫製工場を経営する中国人女性社長の話から、なぜ中国がルワンダへの進出に注力するのか、その狙いと歴史的背景を読み解く――。

 

CEOは44歳、中国人女社長

体育館ほどの広さの工場のなかでは、黒い肌の若者たちがぎっしりを机を並べていた。彼らの多くは20〜25歳で、女性が65%を占める。女性たちは頭髪の混入防止用の黄色い頭巾をかぶっているが、男性は短髪やスキンヘッドの人しかいないためか、頭巾は無しだ。私の目の前の生産ラインで彼らが縫い続けている黄色い蛍光色の布は、鉱山労働者の制服らしい。

ルワンダの首都・キガリ市中心部から郊外へ5キロ、キガリ国際空港付近に位置するこの工場は、同国随一の縫製会社「C&H Garment」である。8000平米の工場敷地内に約1500人のルワンダ人ワーカーを雇用しており、生産ラインの間を縫って動き回る現場監督の多くはケニア人だ。オフィスの管理職を務めるのはフィリピン人たち。そしてCEOは44歳の中国人女社長、馬暁梅(キャンディ・マー)である。

C&H社の工場内。習近平とカガメに見守られて働くルワンダ人ワーカーたち。2019年4月安田撮影

工場内の柱には「LOVE 有愛心」「QUALITY 品質」「GRATEFUL 感恩」と、英語と中国語の標語が貼ってあった。さらに労働者たちを睥睨(へいげい)するかのように、ルワンダと中国の国旗と、ポール・カガメ大統領と習近平の肖像写真をプリントした巨大な看板が掲げられていた。

「奮闘努力して働いてこそ、我々の暮らしを変えられる」(カガメ)

「腕まくりして頑張ってやれ。夢は持ち続けることでこそ実現する」(習近平)

看板のセンスは中国国内とそっくりだ。国家指導者たちの肖像写真の周囲にはそれぞれ、中国語・英語・ルワンダ語でスローガンが出されている。毛筆体の中国語がいちばん上に大きく書かれ、この国でいちばん広く通用するはずのルワンダ語は3番目。フォントも地味である。

C&HのCEO・馬暁梅。高卒の現場労働者からルワンダを制覇する縫製会社を作り上げた。2019年4月安田撮影

「ルワンダ愛国戦線(RPF、ポール・カガメ大統領の与党)から、キガリ進出のオファーがあったんです。中国系の縫製会社だけでも20社くらいに声掛かりがありましたが、他社はアフリカのことをよくわかっていないみたいで、来ようとしなかった。うちだけが工場を出したんですよ」

CEOの馬暁梅は言う。2015年春から、立ち上げスタッフとして200人ほどのルワンダ人ワーカーを集めてトレーニングを開始し、翌年から工場を操業させた。彼女はもともと、2007年から隣国のケニアで縫製工場を経営しており、アフリカに慣れていたことでルワンダ政府による工場誘致を受けたようだ。

カガメ政権は、国産製造業の振興を図る「Made in Rwanda」政策を提唱している。例えばアパレルの分野でも、従来のように援助や転売でもたらされた西側先進国の中古衣料品を着るのではなく、ルワンダでルワンダ人自身が作った服を着るような国になりたい、というわけだ。そんなルワンダの産業振興政策に、中国企業が大いに寄与している。

華僑女社長、アフリカ豪腕繁盛記

C&H社を経営する馬暁梅は現在44歳だ。アフリカの小国で会社を切り盛りしている人物だけに、過去の経歴はパワフルである。文化大革命時代の最末期に陝西省西安市で生まれた彼女は、18歳だった1993年に、地元の学校にスカウトにやってきた香港の紡績会社に就職して海外に渡った。

C&H社の工場内で。作業を監督するのはケニア人が多いという。2019年4月安田撮影

もっとも、海外就職といってもキラキラしたホワイトカラーではなく、当時の中国でおこなわれていた国外での出稼ぎ行為「労務輸出」の募集に応じた形だ。社内では最下層の現場作業員として、なぜかモーリシャスの工場で旋盤作業に従事した。モーリシャスはマダガスカル沖に浮かぶ旧英国領の島国で、広い意味ではアフリカの国家である。これが馬暁梅の最初のアフリカ渡航になった。

「衣服の製造について最も基本的なことを学べたのがよかった。それに香港系の会社だったので、香港人の工場管理について学ぶこともできました。あの経験は今でも役立っていますね」