70代でガンになった私が直面した、100歳超の母「介護の現実」

そして、自らも老人ホームへ…
阿井 渉介 プロフィール

そして、また数日後の夜中、物音に目覚めて母の部屋を覗くことになりました。臭気で、なにが起きているかわかりました。ベッドの上に起き直っていた母のまわりに、ほどけ外されたオムツと便は、前回より派手に展開していました。私はまだ半睡状態でしたから、大きな声を上げてしまったと思います。

「またあっ!」

そのとき、私を見た母の顔を、眼を、私はこれから先、多分死ぬまで忘れることはできないでしょう。

 

母はおびえきっていました。

幼児が、降りしきる雨の路上に放り出されて、寒さや孤独に震えているように、母はそこにいました。頼りを失って、その頼りを虚空にさがしていました。

その頼りとは、私なのです。

その私が怒声を発したのです。

母の絶望はどれほどのものだったか……。

「しまった……」と私は思いました。

ほぞを噛む思いと、母への憐憫で心が絞り上げられました。

怒ってはいけなかった。絶対に怒ってはいけなかったのです。

「怒ってはいけない」ということは、介護に関する聞きかじりとして知ってはいました。介護を3日もすれば、その理由にも思い当たります。

にもかかわらず、なんと愚かなことをしてしまったんだろう。

過ちを改むるにはばかることなかれ! 私はただちに懸命に笑って見せました。

「あはは、またやっちゃったね。いいよ、いいよ、いまきれいにしてあげるからね」

普通の場合だったら、不自然な豹変でしょうが、寝ぼけとボケが重なって、取って付けた笑いが直前の怒声を消してくれるかもしれないというところに、救いを求めました。私は、自分の頭を壁にたたきつけたいほど

後悔していました。

排便などという、2、3歳以後は自分で制御できていたことができなくなった! もらしてしまった!

そのショックは、ボケてしまってモーローとした母の意識の中にさえ烈しく響き、ひどく臆してしまったのではないでしょうか。だから、おどおどと処理しようとして、かえって事態を悪化させてしまったのでしょう。

こっちがボケていないなら、それくらいはわかってやらねばならなかったのです。

私は、これを機に、苦痛だった下の世話がまったく平気になりました。

下の世話をするうちに、赤ん坊の私のおしめを替えていた母の気持ちに思いを馳せ、母が愛しくてならなくなりました。