「介護とは?」
訊かれたら、私は即答します。
「介護とは下の世話なり」
母が脳梗塞を起こす少し前のことです。
100歳を超えた母を70代の息子が世話をする老老介護の日々の中で、母は心身ともに衰えていました。
ある夜、物音に目覚めて、母の部屋に行ってみると、母は途方にくれたようにベッドに起き直っていました。使い捨てのオムツはほどけて外され、内容物がベッド上に散乱(というほどではなかったのですが、そのときはそう見えてしまいました)していた。
「わあっ」というような声を、私は上げたかもしれません。「どうしたの」と聞きましたが、こうして文章にするとき、その末尾に付すマークは「?」でなく「!」だったことを白状しなければなりません。
「トイレのときは、たとえ夜中でもぼくを呼ばなきゃ駄目でしょう!」
「でも、自分でできると……」
どうしてよいかウロウロする思いでしたが、とにかく風呂場に連れていきました。春とはいえ、夜中の風呂場は寒かったので、まず熱い湯を出して、風呂場用車椅子を温めました。そこに座らせ、洗い流しました。
母のお尻から太腿にかけては、瘦せたためか、皮膚がたるんでひだが幾重にも垂れ、まるで鍾乳洞のようでした。ずいぶん痩せたとは思っていましたが、それがそのような形で見せられると、心が痛む前に醜悪さを感じてしまっていました。いや、そんなことより洗いにくくて困りました。
なんとか洗い終え、ベッドのシーツを換えました。シーツの下には、このようなときのために、ビニール製のシーツがもう一枚敷かれていましたが、それにも少し黄色い斑紋が生じていたので、予備のものと換えました。
母は疲れているようでしたし、私も疲れ果てていました。
「トイレに行きたくなったら必ず知らせるように」と命ずるように言いました。母は無表情にうなずいていました。