私が目撃した「天安門事件」あの日、中国の若者に訊ねられたこと

「中国は、日本みたいになれるかな…」
青山 潤三 プロフィール

あの学生は、30年後…

その年の秋に、成都を再訪することができた。筑摩版『漱石全集』と『鴎外全集』を各一部ずつ携えて、山際の村に住む例の「戦」くんを訪ねた。

彼はなんと、日本との貿易を試みていた。「チベット高原の山で採れたマツタケを輸出する」という。「問題は、鮮度を保ったまま迅速に輸送する方法だ。それに苦慮している」と。

帰り際に戦くんは、「あの出来事」の話を唐突に始めた。首謀者のひとりである女性が、香港経由でアメリカに出国するのを、われわれ(民主化運動に加わる各地の大学生)で連携して手助けした。彼女のメモの一部が手元にある。これを日本のメディアで紹介してもらえないか。実現しそうなら、次に会った時に手渡す。

帰国後、筆者はこの話をある新聞社に持ちかけたが、鼻にもかけられなかった。それから戦くんとは30年間会っていない。今でも「反権力」を貫いているのだろうか? それともあのマツタケ貿易は成功して、経営者にでもなっているのだろうか?

 

あのとき戦くんに訊かれた、「30年経てば、中国は日本に追い付けるか?」という質問ーー。

中国はその後、権力と反権力が鬩(せめ)ぎ合ったまま強引な繁栄を遂げて、日本に追い付くどころか、一面では遥か先を行く大国になった。

でも、これまでにも書いてきたが、筆者はいまの中国を、あのときとちっとも変わらないと感じるときがある。超近代的な街並みも、足元を見るとゴミが転がっている。バスや地下鉄では、相変わらず乗客が降りる前に一斉に乗ってきて、押しくら饅頭になる。ホテルのドアノブはしょっちゅう壊れていて、コンセントもスムーズには差し込めない。

30年前に民主化が成されていれば、そうはなっていなかったのだろうか?

もちろん武力で自国民を制圧するのは酷いことだ。でも、あのときの学生リーダーたちにもまた、その後体制に順応し、いまの中国社会の中枢を担っている人物が少なくない。いずれにせよ、中国当局も学生たちもそれぞれ「自分たちこそが正義」という姿勢を信じて疑っていなかったのだから、仮にあのとき民主化に成功していようがいまいが、同じような結果になっていたのではないか、とさえ思えてくる。

そもそもあの頃、中国の人々は、日本に追いつきたいと本当に感じていたのだろうか? いまも中国へ行くと、あのときの戦くんの言葉を思い出すことがある。