私が目撃した「天安門事件」あの日、中国の若者に訊ねられたこと

「中国は、日本みたいになれるかな…」
青山 潤三 プロフィール

口をつぐむ人々

翌朝、改めて町の中心部に出かけた。通りによっては、群衆と機動隊の衝突はまだ続いているようだった。明らかに犠牲者が出ていることもわかった。車という車がひっくり返され、あちこちでまだ火がくすぶっていた。

筆者には政治的な背景はよくわからなかったが、これは完全に野次馬の暴動じゃないか、と感じられた。壮絶な風景を直視することができず、思わずタクシーに乗り込んでその場をあとにした。

ただ、その時車窓から垣間見た風景は、前述したハッタラー氏の発言と記事中の描写、〈「負傷していた、もしかすると死んでいた可能性もある人々が、病院から運び出され、広場から続く道路上を移送されていくのを目撃した」と語った。ある人物は、誰かが撲殺された場所を身ぶりで示していたという〉(AFP記事より)と一致しているように思う。

 

何度か宿泊したことのある岷山飯店に行ってみた。1階のガラスは破られ、ホテルの前には焼き討ちにあった車が何台も転がっていた。ロビーは荒らされて静まり返っていた。レセプションにも人影は見当たらない。大声で呼びかけたら、フロントの机の下から女の子たちが顔を出した。「いつまた襲撃されるかわからないので、目立たないように隠れている」と言っていた。

北京のそれとは比べようもないとしても、成都でも、おそらく重慶でも、大きな暴動があったのは確かである。少なからぬ市民が犠牲となったことも一目瞭然だ。

その後、どの中国人の市民も学生も口をつぐみ、暴動のことを一切話題に挙げようとはしなかった。あれほどの悲惨な出来事がすぐ身近で起きたにもかかわらず、皆がまるで何事もなかったかのように振る舞うのが怖かった。

テレビではずっと、「首謀者」である北京の大学生たちの名前と顔写真が流れ、「見かけたらすぐに通報せよ」と呼びかけていた。

大学では、各国の留学生たちに次々と帰国勧告が出された。

公安の取り調べ

筆者は翌々日、いつものように都江堰へ蝶の撮影や蝉の鳴き声の録音に出かけた。

さすがに検問は通常より厳しく、途中でバスに公安が乗り込んできて、乗客の身分チェックが行われた。筆者と、同行してくれた友人の中国人学生がバスから降ろされ、取り調べを受けた。友人は筆者の目的を説明してくれた。公安は思いのほか物分かりがよく、取り調べが終わると筆者たち2人をバイクのサイドカーに乗せ、目的地まで送ってくれた。

数日後、成都を離れて(当時はまだ現在のような大観光地にはなっていなかった)九賽溝に行くことにした。むろんツアーではなくローカルバスを乗り継いで。意外にスムーズに到着した。現地で出会った欧米系の人7、8人(全員、別々の国からの一人旅だった)と一緒にチベット民家の宿泊施設を確保して、あちこちの撮影を行った。

数日後、皆で入口のゲートまで戻り、筆者とイギリス出身の女の子は、他の人と別れて北周りの帰路を採った。

が、バスの切符を前もって確保していたのに、筆者たち2人は乗せられないという。筆者はともかく、イギリス人の女の子はひと目で外国人だとわかってしまう。

女の子は泣き喚いて抗議している。しかし運転手も乗客も、われわれから視線を逸らしている。諦めてバスを降りるしかなかった。結局3日がかりで、トラックをヒッチハイクして駅までたどり着いた。

大学では、留学生たちが次々に帰国していった。日本からの留学生も、全員日本へ戻ることを余儀なくされた。筆者も6月下旬、帰国の途についた。

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