私が目撃した「天安門事件」あの日、中国の若者に訊ねられたこと

「中国は、日本みたいになれるかな…」
青山 潤三 プロフィール

「日本に追いつけるだろうか?」

中国の大学は、とにかくスケールがデカい。大学が一つの町を成しているという感じだ。敷地内を何本も鉄道が走り、食堂だけでも10か所近くある。喫茶店も数軒あって、そこに日本語学科の中国人の若者が集まってくる。彼らだけは親しく接してくれた。

一人、飛び抜けて日本語が上手な、ほとんどネイティブかと思うような学生がいた。

訪日経験はない。熱心な共産党員の父は、「抗日闘士になれ」と、息子の名前に「戦」の字を付けたという。その反発もあって、彼の日本熱は加速したのかもしれない。北原白秋とか萩原朔太郎の詩を淀みない日本語で暗唱する。「今度日本に帰ったときは、漱石全集と鴎外全集を買ってきてくれ」などと言う。とんでもない秀才がいるものだと思った。

彼からは、いろんな質問を受けた。ことに次の二つは、何度も繰り返し訊かれた。

「今こそ中国の民主化に向けて、われわれ学生が決起しなくてはならない。60年安保と70年安保のときの、日本の若者たちの行動を参考にしたい。当時の実態について教えてほしい」

日本の大学に通っておらず、学生運動の時代にもノンポリだった筆者には、答えようがなかった。そしてもうひとつは、

「今の中国は日本よりもずっと遅れている。民主化が成され、あと20年、30年経てば、日本に追い付けるだろうか?」

こちらの問いには、いつもこう答えた。

「無理だ、いつまでたっても追い付けないと思う」

 

「ある国」からの留学生たち

あるとき、溜まり場になっていた学内の喫茶店で、見慣れないアジア人の一団に出会ったことがある。他の留学生の宿舎とは別の棟に住み、別の教室で授業を受けているという、北朝鮮からの留学生たちだ。年齢的にも他国からの学生より高く、筆者と同じくらいか、少し上の学生もいた。

彼らと言葉を交わしたときに、社交辞令のつもりでこう言った。

「平城(平壌)はとてもいいところですね。僕もいつか行きたいです。でも、チャンスも経済的な余裕もないので、なかなか行くことができなくて残念です」

1週間ほど後、また同じ喫茶店で彼らに会った。すると、ひとりがこう言ってきた。

「あなたは平城に行きたいが、予算も機会もない、と言っていましたね。でも心配しなくて大丈夫。われわれが招待します。いつでも来てください。これにサインして貰えれば、今すぐにでも来ていただいていいですよ」

彼は筆者の名前や生年月日、パスポートのコピーが入った書類を手にして微笑んでいた。

「ち、ちょっと待ってください。まだ授業も残っているので……」

と言ってなんとかその場を切り抜けた。

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