世界的ダンサーから経営者に。バレエとビジネス共に成功させた20年

強い反発があっても実現したかったこと
熊川 哲也

毎日が戦場のようだったスタジオ

企業経営にまったく無知だった僕は、カンパニーの運営を見よう見まねで進めてきた。経営について多少は勉強したものの、ほとんどは勘とセンスだった。考えてみれば、これまでストイックに努力して何かを成し遂げたことはない。経営もバレエを踊ることや観ることと同様、机上の勉強を当てにしてこなかった。

ただ、ロイヤル・バレエ団時代から昇給や日本公演の出演料については他人任せにせず、自分で交渉してきた。ビジネスに関しては実践を通して勘を養ってきたとも言える。一方で経営者として、ビジネス界の人たちとの交流を通じて社会の成り立ちや組織の仕組みを教えられ、芸術の世界では得ることのできないさまざまな経験をさせてもらった。

ロイヤル・バレエ団では舞台人としてのプロ意識は教わったものの、社会上のマナーや人間関係のつくり方に関してはあえて学ぼうとはしなかった。僕はもともと喜怒哀楽を隠さない性格であり、そうして感情を表すことが芸術表現につながったとも思う。

しかし、若いころの自分のインタビュー映像を振り返ってみると、未熟で生意気な言動に我ながらあきれる。もしもあのままでいたら周りと絶えず衝突し、今の自分はなかっただろう。当時の自分を知る人に会うたびに、「あのとき、なにか失礼はありませんでした?」と必ず尋ねたものだ。

 

三十代後半から、カンパニー内の人間関係をめぐる作法も変わった。たとえば、スタジオでの後輩ダンサーに対する接し方だ。

当初は「Kバレエはおまえたちが担っていくんだぞ」と気負い過ぎていた。スタジオ内は談笑や私語ができないピリピリとした空気に満ち、当時を知る荒井祐子、浅川紫織、宮尾俊太郎たちに言わせれば、「毎日、戦場に行くような気分だった」という。

それだけ厳しく接したがゆえに彼らはプリンシパルにまで成長したとも言えるが、一方で張り詰めた空気をまとっていた僕に対して、周りは挨拶すら満足にできない状態だった。ましてやスタジオでは誰も自分の意見を口にしなかった。

そんな萎縮した状況では、ダンサー自身が成長しない。当時はみんなを自分の型にはめ込もうとしていたが、それではそれぞれの個性が失われてしまう。個性を長所とみなして自由に伸ばすのもリーダーの役割だ。僕の立ち位置や接し方次第でメンバーたちの可能性が引き出される。

今や新しい団員ともなると自分の子どもくらいの年齢になる。自分自身は前に出ず、叱ったり忠告したりするのは、バレエ・ミストレスやバレエ・マスターに任せることにした。また、任せることでカンパニーの幹部として育っていくことを期待した。