神社の「参拝マナー」やたら口うるさい人に感じるモヤモヤの正体
本当に「畏れ」を持ってますか?東海道を歩いて気づいたこと
神社の「御朱印」が話題になっていた。
マナーが問題らしい。
「マナー」というのは、かなりマイナスな面を示唆する言葉として、インターネット以降の時代で使われるようになっている。
テレビ番組でも「御朱印のマナー」を特集していて「御朱印をもらうまえに参拝をすること」を教えていた。
あら。まあ。
なかなか大変なことになっているな、とおもう。
神社はどうやら「自分のもの」となっているかのようだ。少なくとも「自分の都合に合わせてくれる存在」だとおもわれているのだろう。御朱印トラブル問題の背景には、そういう軽んじられる神様の問題があるようにおもう。

20年ほど前に、東海道を徒歩で歩いたことがある。一気に歩いたのではなく、ある程度進むと、また東京に戻って仕事などして、数日後にマーキングした場所へ戻ってそこから歩き出す、ということをやっていた。
このときにいろんなものへの見方が変わったのであるが、そのひとつに「神社」があった。
旧東海道を歩くというのは「水戸のご老公一行」のように、ふわりふわりと歩くわけではない。かなり急いで歩く。素人の競歩競技くらいの感覚で歩いていく。常に次の宿場へと急ぐ。江戸のころ宿場だったところは、つまり東海道五十三次は、だいたいいまでも栄えた街である(例外もあったが)。歩いているかぎり、宿場に早く着きたい。そういう気分になる。それはたぶん、享和(東海道中膝栗毛が出版された1801年から1804年)のころの弥次郎兵衛&喜多八からそうで、平成年間のわれわれでも同じ気分だった。
だから昼食はいつも軽く済ませていた。
そもそも昼食をたっぷり食べると、午後の動きが鈍くなる。だから朝はなるたけたくさん食べて、昼食は軽いモノ、夜はしっかり食べるということをしていた。
長距離を歩くことは(1日30kmから40kmをめざしていた)しっかり運動だから、運動中にたっぷり食事をする人はいない。本気で東海道を歩いて「鉄道が通る前の社会にいた日本人」がどういう感覚で歩いて移動していたか、想像できるようになった。
昼食は、コンビニでおにぎりのような簡単なものを買って、そのへんに座って食べることが多かった。江戸のむかしだとにぎりめしを握ってもらって、それを途中で食べていただろうから、たぶん似ていたとおもう。