乙武洋匡氏が挑戦している「乙武義足プロジェクト」をご存知だろうか。先天性四肢欠損として生まれた乙武氏が、テクノロジーの最先端を行くロボット義足をつけて歩こうとしているのだ。

このプロジェクトのきっかけは、エンジニアの遠藤謙氏が2016年に「乙武洋匡サイボーグ化計画」を提案したことだった。そして現在、研究者、デザイナー、義肢装具士、理学療法士と多くのプロフェッショナルが乙武氏に伴走している。

その挑戦の一部始終をお伝えする本連載、前回は義肢装具士・沖野敦郎氏のキャリアを紹介した。今回は義肢装具士の仕事を通して、乙武氏の初期の義足歩行の様子をお伝えする。

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義肢装具士として参加した
初のパラリンピック

沖野氏が義足に魅了されるきっかけとなったパラリンピックは、4年に一度やってくる。あの日はテレビの一視聴者に過ぎなかったパラリンピックだが、義肢装具士として迎えるパラリンピックは、まったく別の光景を見せてくれた。

2008年の北京パラリンピックに、沖野氏は正式な日本選手団のスタッフとして参加した。当事者として迎えたはじめてのパラリンピック。ウォーミングアップ場の段階から異次元の雰囲気が漂っている。限界まで鍛え抜かれた選手たちの肉体、息が止まりそうな緊張感とスタジアムの熱気。すべてが真剣勝負の場にふさわしいものだった。

開会式の入場行進に参加したときのことだ。順番を待っている間に興奮を抑えきれなくなっていた沖野氏は、携帯電話に手をのばし、陸上短距離の春田純選手に「すごいぞ! いますぐ見に来い」と電話を入れた。春田選手は北京パラリンピックの代表にこそ選ばれなかったが、片下腿切断クラス100メートルで12秒15の日本記録保持者だった。

沖野氏の完全なる無茶振り。だが、春田選手は沖野氏の興奮に誘われて、3日後、北京まで飛んできた。

「見ている世界が狭かった。日本記録を持っていても、この舞台に立てなければ意味がないということがよくわかった。これから本気でロンドンを目指します」

春田選手はそう語った。その後、春田選手は11秒95の日本記録を出してロンドンパラリンピックへの出場を果たし、4×100メートルリレーで4位入賞の成績を残すことになる。

沖野氏(写真右)と春田選手 写真提供/沖野敦郎

「国内の障害者スポーツをぬるいと言っていたが、自分もぬるいことをしていたな」

沖野氏はそう思った。

「やっぱり、障害者スポーツはすばらしい。義肢装具士としてアスリートのポテンシャルをもっともっと引き出したい」
沖野氏はふたたび心の中に火が燃え上がるのを感じ、さらに深く義足の世界に入り込んでいった。

陸上選手としての経験を生かして

沖野氏に製作を依頼するアスリートが多いのは、陸上選手としての経験を生かした義足作りをしているからと言えそうだ。

ソケットと板バネの位置関係は、日々変わるといってもいいアスリートの身体コンディションとの微妙なバランスの上に成り立っている。「着地の感触はどう?」と先回りして声をかけ、「こういう角度にしたら走りやすくなるのでは?」と先回りして調整する沖野氏に信頼が集まるのだ。

春田氏に義足の状態を確認、調整する沖野氏 写真提供/沖野敦郎