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天安門事件から30年、「鄧小平の勝利」が中国人にもたらした激変

あの時もしも別の道がとられていたら…

現代中国史の汚点

「30年後」の6月4日の朝を、中国は静かに迎えた。

「歴史は勝者が創る」と言うが、本当に今日の中国は、30年前に何事もなかったかのように安静に過ごしている。私は先週、中国へ行ってきたが、「天安門事件」は、まったく人々の俎上に上っていなかった。話題になっていたのは、途中で立ち寄った香港だけだった。

いまの中華人民共和国は、今年10月1日に建国70周年を迎えるが、共産党政権が転覆されるかもしれない危機に陥ったのは、1989年の天安門事件の時、ただ一回しかない。

1957年の反右派闘争、翌年から始まった大躍進と3年飢饉、1966年から10年続いた文化大革命など、現代中国史は「悲劇」が続いた。

だが、有為な若者たちが多数、犠牲になり、人民解放軍が力ずくで鎮圧する映像が世界中に流布したという点で、天安門事件は現代中国史の汚点となる悲劇である。中国当局は死者の数を319人と発表しているが、中国国外の一部研究者は、1000人以上いると推定している。

天安門事件の経緯は、大枠下記の通りだ(時事通信の記事より引用)。

◇天安門事件の経過
【1989年】
4月15日:胡耀邦前総書記の死去
17日:学生が天安門広場で追悼
19日:学生、中南海・新華門に集結
22日:共産党中央による胡耀邦追悼式典
26日:人民日報社説、学生運動を「動乱」と断定
27日:社説に反発して大規模デモ
5月4日 :「五四運動」70周年
13日:広場でハンスト始まる
15日:ゴルバチョフソ連共産党書記長訪中
17日:100万人超がデモに参加
18日:李鵬首相が王丹、ウアルカイシ氏ら学生リーダーと会見
19日:趙紫陽総書記が広場でハンスト学生を説得
20日:北京市に戒厳令施行
30日:広場で「民主の女神」像の除幕
6月3日夜:軍が武力制圧へ進軍
 市民と衝突し、多数の死傷者
4日未明:軍、広場を武力制圧
 広場の学生は撤収
9日:トウ小平が戒厳部隊を慰問

私自身、天安門事件がなかったら、中国ウォッチャーになっていなかった。本日30周年ということで、以下、少し思い出話を書いてみたい。

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そして悲劇は起こった

1989年春、私は大学を卒業して、ニュース雑誌の編集部に入った。

編集部には、当時真新しかったCNNが観られるテレビがあって、私は配属された初日から、CNNが映し出す世界のニュース映像に釘付けになった。すると上司のデスクから、「そんなに興味があるなら、前日観た面白いニュースを、毎朝報告しろ」と命じられた。

私はその日から、編集部と、隣にあった仮眠室とを棲み家にして、ひたすらCNNを観続けた。

だがまもなく、「異変」が起こった。「世界のあらゆるニュースをお茶の間に」をキャッチフレーズにして始まったCNNだったが、一つのニュースしか流さなくなったのだ。それが、北京で起こっていた大規模学生運動と、その後の天安門事件だった。

その映像は、衝撃的なものだった。まず、「100万人を収容する」と言われる天安門広場を埋め尽くした若者たちの様子だ。

最初に目にした時は、失礼で申し訳ないが、物乞いの集団かと思った。私と同世代の中国の若者たちが、男女ともにあまりに貧そうな格好をしていたからだ。

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当時の東京は、バブル経済の絶頂期で、若者たちの間では、DB(デザイナーズ・ブランド)というオシャレな服が流行していた。私もつい数ヵ月前まで、アルバイトして買ったマイカーを運転して颯爽と大学に通学していたし、ディスコへ行ったり高いワインを開けたりと、典型的なバブル期の若者生活を送っていた。

それが、海を隔てた同世代の若者たちの、何と貧そうなこと。天安門広場で、CNNの記者が、ある中国人の女子大生にマイクを向けた。

「あなたはファッションに興味ないの?」

するとその女子大生は、キッと目を剥いて流暢な英語で答えた。

「服なんて、2着しか持っていません。いま着ているこの服と、洗っている服。それで十分ではないですか」

 

別のある時、CNNの記者か男子学生に聞いた。

「あなたにとって、民主化運動とは何?」

その男子学生も、真剣な眼差しで、流暢な英語で答えた。

「民主化運動は、私の人生のすべてです。私はこの天安門広場でのデモに、人生のすべてを賭けている。それは、私たちの祖国の運命と未来を賭けた闘いだからです。私は祖国に民主化を実現するためなら、イエス・キリストのように、この場で磔(はりつけ)にされても構わない」

こんな調子で、CNNは朝から晩まで、中国の様子を放映していた。