【川崎事件】岩崎容疑者はなぜ伯父夫妻を襲わなかったのか

もっと根深い闇があったのだろうか…
井戸 まさえ プロフィール

なぜ伯父夫妻を襲わなかったのか

岩崎容疑者は最も身近にいた伯父や伯母、または実家に帰ってくるいとこやその家族を巻き添えにするということは考えなかったのであろうか。

自分だけ公立の小学校に行かされた、(散髪代がかからないように)理髪店で短髪にされた等、親戚内で差別的扱いをされたことに恨みを持っていたとするならば、伯父伯母や自分が欲しかったであろう環境を得ていたいとこに対して殺意を持ち刃を向けたとしても不思議はない。

だが、岩崎容疑者はそうはしなかった。もちろん自分が生き残った時のスポンサーがいなくなることは避けたいといった計算もあったかもしれないが、もっと根深い闇があるとも言えるのではないか。

〔PHOTO〕gettyimages

つまり、岩崎容疑者の行為によって、いとこやその家族は血縁をもつ、もしくは親戚というだけで一生責め苦を背負わなければならなくなる。その理不尽こそが幼児期から自分が背負ってきたもの。誰も一緒に持ってくれなかったではないか。

ほら、その重みを感じてみろ。

それは自分の人生を家の中に押し込めた者への最大の仕返しであると同時に、どこかでその体験を通じて、自分を理解してもらいたいとでも言っているかのようだ。圧倒的な孤独感の先にすら残る、最後の「つながりを求めた行為」とも思える。

伯父や伯母、いとこにしても岩崎容疑者が家族の一員との意識はなかったのだと思う。むしろ家族に侵入してきた異物であり、なんで自分たちがこの子どもと一緒にいなければならないのかと、被害者意識を持っていたのかもしれない。

にもかかわらず、この蛮行が「家族」であることの証明だとしたら、彼らはやりきれないだろう。

 

ただ一方で、この事件は容疑者は死亡したものの、その検証は丁寧に、徹底的にやらなければならない。事件を起こす前に、岩崎容疑者をどこかの段階で救えた可能性はないのか。

そのためにも生育歴を含めて、ともに暮らしていた人々の証言はとても重要である。

岩崎容疑者がなぜこの行動に至ったのか、動機の解明を様々な角度から行う必要がある。特にその育ちの中での児童虐待の視点からの検討は必要なことだと思う。

当然のことだが恵まれない幼児期を過ごしたからと言って無差別殺人が正当化されるはずもない。許されない行為だからこそ、容疑者死亡で終わらせるのではなく検証作業が必要なのだ。