【川崎事件】岩崎容疑者はなぜ伯父夫妻を襲わなかったのか

もっと根深い闇があったのだろうか…
井戸 まさえ プロフィール

昭和40年代の離婚家庭事情

岩崎容疑者が蛮行に至った背景には幼少期の両親の離婚と、その後の自分の処遇に対する「積もり積もった思い」があるだろうことは想像に難くない。

父方の親族に預けられ、そこでのいとこたちとの扱いの違い。一方は私立小学校、岩崎容疑者は公立小学校といった露骨でわかりやすい差異は容疑者が死に至るまでこだわったことでもあった。

親の離婚で守ってくれる存在を失った自分はむしろ被害をこうむった側であり、擁護されるべき存在にもかかわらず、世間も親族の対応も逆であることに納得いかなかっただろう。

両親が揃っているいとこたちに開かれている未来は「親が離婚している」「身近にいない」という理由だけで自分には得られないものだ。そのみじめさは、日々登下校時に刻印されていく強烈で残酷な時間でもあったのだと思う。

昭和40年代までに生まれた者にとってこうした状況は岩崎容疑者だけのものではなかった。容疑者とほぼ同時期育った筆者も相似形の風景をあちこちで見てきた。

親の離婚を受けて幼児期に「父方の実家」の祖父母に預けられ、学校の選択も含めて、まさに岩崎容疑者とほぼ同じような境遇の中で育ったあるケースでは、家族の中での葛藤の末に祖母が自殺するという結果に至った。

 

「離婚」を本人たちだけでなく家族までもがそれほどまでにも重く受け止めざるを得ない、暗黙の社会圧が存在したのである。

夫婦と子ども2人の4人家族が日本の典型的家族構成=「標準世帯」とされたのは昭和45年頃から。まさにこの事件の容疑者の生きてきた背景となる時代と重なり合うというのことも暗示的である。

「父方」の祖父母に預けられたというところは注視しなければならないポイントの一つである。これは離婚した女性が、子育てをしながら働くことが難しかった時代の反映でもあるのだ。

離婚する者は「失格者」との烙印を押され、女性が実家に帰ろうにも「出戻り」と嫌われる。すでにきょうだいが家庭を持っていて同居していた場合は孫を預けるのも気兼ねするといった事情は容易に想像できる。