中学生時代の写真が意味すること
「クラスが多すぎて、見たこともない」
川崎市多摩区の路上で19人が殺傷された事件。岩崎隆一容疑者(51)と同じ中学に通っていた筆者の友人の記憶に岩崎容疑者の姿はない。この中学の「昭和42年生まれの学年」はひと学年11クラスもあった。
この年のクラス数が多いのには訳がある。
前年の昭和41年は丙午で合計特殊出生率は1.58に低下。出生数は前年に比べて25%の減少している。
しかし翌年、つまり岩崎容疑者の生まれた昭和42年は前年比42%の増加。迷信回避で「産みびかえ」をしていた夫婦が、堰を切ったかのように出産に向かった時期でもある。
11クラスもあったということは岩崎容疑者と接触した人もそれだけ多いはずだが、岩崎容疑者はむしろ大勢の中でさしたる存在感を示すこともなく埋没していた。
事件を受けて各マスコミは相当力を入れて取材をしているだろうに、出てくる情報はご近所や暴力的行為を覚えていた一部の同級生や担任の数名程度。
岩崎容疑者は卒業後の進路も含めてほぼ誰にも関心を持たれず、「見たこともない」存在として生きるのだ。

それは皮肉にも岩崎容疑者の「顔写真」に象徴されている。
報道で繰り返し映し出されるのは制服姿のままの中学生の岩崎容疑者である。以来、10代後半、20代、30代……50代の今に至るまでの写真がない。
中学卒業後から30数年間、友人たちとの集合写真も一枚もなく、たぶん家族写真すらも撮ることがなかっただろう人生とは一体どんなものだったのだろうか。
被虐待者や問題行動を起こす当事者は、義務教育が終わった瞬間から社会とのかかわりが切れ、行政や専門機関との繋がりもなくなることが多い。家族もその存在を隠すようになり、抑止を含めた「支援」は一気に難しくなる。
空白の時間を超えて、再び浮き上がってきた中学生の岩崎容疑者が死後も語り続ける、それまで閉じ込めてきた言葉とはいったいどんなものだったのだろうか。