丸山ゴンザレス「アジアを席巻する格闘技イベント」に潜入!

「ONE Championship」観戦記
丸山 ゴンザレス プロフィール

「最強不要、ヒーロー必要」

ONEは地上最強を目指すのではなく、ローカルのヒーローを生み出す団体なのであろうと、ぼんやりではあるが、仮説として考えていた。

これは日本格闘技界にかかわる方々には受け入れ難い考えかもしれない。日本は武道や格闘技に対して、よくもわるくも特別な思いを抱き過ぎているからだ。柔道の世界の、金メダリスト以外は認めない風潮など、最たる例だろう。

そんなものは気の所為だと言おうと、オリンピック時には確実にまん延する病のようなものだ。「最強」という病。格闘技イベントでも同じことがいえた。

 

過去形にしたのはすでに日本人の格闘技ファンは諦めてしまっているからだ。自分の国からは最強が出ないと――。なかには日本人が最強になれないなら、格闘技を見る価値はない的なことを言う人も見受けられる。

だが、そもそも最強を目指すからレベルが高いとか、興行として上だとか、そういうことはない。むしろヒーローが戦う大会にこそ人々は熱中する。

そして、その熱中は格闘技だけではなく、もっと大きな分野にも言えることである。様々な競技でヒーローを作ることができたら、アジアでスポーツが高度に産業化していく可能性が高い。ミャンマーの人たちがアウンラを応援する様子をみて、私の中で「最強不要、ヒーロー必要」の仮説が確信に変わったのだった。

自国の「ヒーロー」に熱狂する人々

このヒーロー像と役割について、別の角度からも思っていることがある。

スラムや貧困街を取材しているなかで、多くの目標を持って生きている子どもたちに出会ってきた。そのなかの何人かは、苦しい生活の中から経済的な成功を掴み取る。すべてとはいわないが、成功した子のほとんどは、心の中で「憧れ」を抱いていたように思うのだ。

憧れの対象は、その人の思うヒーローである。その人のようになりたい。あこがれの人に近づきたい。その人を超えたい。そうした思いのなかにネガティブな感情はない。ひたすら真っ直ぐに自分を変革し、突き動かしていく衝動であるのだ。

このヒーローについて、「もしヒーローが負けたらどうなるの? 全部終わっちゃうんじゃない」と、意地の悪い見方をすることもできる。というのも、私が経験してきた格闘技ブームのなかで、数々のカリスマが生み出されてきたが、観客はカリスマに圧勝を期待してしまう。当然ながら選手の負担、プレッシャーは計り知れない。肉体的にも精神的にも追い込まれかねない。それだけに、危ういバランスで成り立つ人気であるばかりか、敗北しようものなら一気にファンが離れてしまうリスクが高いのである。

ここにカリスマとヒーローの違いがあると思うのだ。

最後にその点について、もう少しお伝えしたい。

日本大会の帰り、私はJRの駅を外れて大江戸博物館の方へと向かって歩いていた。桜の季節が近いこともあり、桜の咲き具合を眺めようと思ったのだ。

ちょうど桜の木の下に数名のグループがいた。そのなかに女の子がいて、彼女が泣いているのがすぐにわかった。グループで交わされているのはタガログ語だった。

おそらくだが、メインイベントに出場したフィリピンのエドゥアルド・フォラヤンが青木真也選手に負けたショックで泣いて、仲間たちがなぐさめているのだろう。

彼女が貧困家庭出身か、セレブリティかはわからない。

でも、フォラヤンの負けは彼女の心を大きく揺らした。恋人でも家族でもない選手が負けて、それを見て泣くことができる。それはフォラヤン選手がヒーローだからだ。負けても観客の心を揺れ動かす。負けたからといって嫌いになる存在ではない。

そんなふうに、決して消費されるだけの存在ではないのがヒーローなのだ。彼女の涙はそれを証明しているようだった。

スポーツが産業として利益を生み出し、選手に還元され、運営も利益を得る。その循環がしっかりと機能するかどうかは、これからのONEの注目点である。日本の主要な格闘技団体は、ONEとの提携を発表している。そのあたりも含めて、どのように日本の格闘技・スポーツ市場が変化していくのかは気になるところだ。

一方で、世界には完全に産業として成立している興行もある。それがアメリカのプロレス団体WWEである。

次回は、プロレスがエンターテインメント産業として巨大な利益を循環し続ける背景についての考察をお届けしたい。