丸山ゴンザレス「アジアを席巻する格闘技イベント」に潜入!

「ONE Championship」観戦記
丸山 ゴンザレス プロフィール

ONEを巡る違和感の正体

ONE Championshipは、アジア最大のワールドスポーツメディアとして、2011年にビクター・キュイとチャトリ・シットヨートンによってシンガポールで設立された。チャトリ氏はハーバードビジネススクールでMBAを取得、ウォール街で活躍したビジネスマンである。そんな彼が率いるONEは日本格闘技界においてどんな位置にあるのか。

2013~2014年ぐらいからアジア各地を取材で訪れていた私は、ONEの存在自体は知っていた。取材に行くたびに、現地で徐々に知名度が高まっていくのに対して、日本側のある一定層のONEに対する認識のズレを感じるようになっていった。

このズレの正体を探るには少々時系列を遡って説明する必要がある。

まず、私が青春時代を過ごした1999年から2000年代初頭、日本は空前の格闘技ブームだった。それが2007年にPRIDEが消滅して、格闘技界は冬の時代を迎えた。PRIDEがなくなっても、K-1やDREAM、RIZIN、修斗、パンクラス……さまざまな興行や団体は存続していたが、一般層への浸透や興行の規模を考えると、PRIDEを超えることはなかった。世界最強を目指すという場所は、日本国内からは失われたという空気感が漂っていた。

月日は流れ、世界の格闘技の潮流はUFCが名実ともにトップになって、日本では国民全体が格闘技に熱狂するような感じは薄れていった(熱心な格闘技ファンはいたし、あいかわらず人気もあった。あくまで当時と比較したらという意味である)。

それでも、リアルタイムの格闘技シーンを追いかけているような人を除いた、かつてPRIDEにハマっていて、あの頃の盛り上がりを知る人達にとって、日本こそ格闘技の世界ではトップランナーであるという記憶だけが強く残っていたのだ。

 

そんな認識を持っている人たちのところに、アジアで人気のある格闘技興行としてONEが登場しても、一段低く評価をしてしまうだけ。この感覚は格闘技に限らず、経済的文化的に日本にはまだ及ばないと一段下に見てしまう「アジア軽視」という日本人のアジア観が透けて見えてくる。実は私もONEに限らず、アジアとの距離はまだまだあると思っていた一人であった。この20年アジアを旅して歩き、その発展を肌で感じてきた私にでも、どこか「まだまだ」的な思いは正直あったと思う。

私の意識を変えた格闘技体験

私が現状にアジャストできる転機となったのは、THE OUTSIDER 出身で2015年からONEに参戦している渋谷莉孔選手の応援によって、だった。2017年8月18日、クアラルンプール大会に出場するということで、私は彼らに同行した。その時のことだった。

過去に取材や旅行で訪れたことのある馴染みのマレーシアの首都クアラルンプール。土地勘はあったが、会場となるスタジアム・ネガラのことは知らなかった。キャパは1万人規模。会場と選手の泊まるホテルとは目と鼻の先。そこまでバスで移動する。

関係者パスを出してもらっていたので、同行することになったのだが、会場入りが午後2時あたりだった。

開始時間は、日本ならば昼間か遅くても夕方。それなのに19時からというのに驚いた。これは市内の交通渋滞や日中の気候に配慮したためであり、アジア各地でネット中継を視聴しやすいように、ということも含まれているようだった。

座席に観客が入りだすと、会場には爆音で音楽が流れてライトも飛び交った。まるでクラブのようだと思った。すでに普通の格闘技イベントじゃない予感はあった。

いままでとはまったく違う興行体験をできると確信したのは、地元クアラルンプールの選手が登場してから。相手選手に遠慮などなく、ただ盛り上がる観客。それも並じゃない声援が飛び交うのだ。地元選手に対する応援と、イベントに対する熱狂は、日本では感じられなくなって久しいものだった。むしろ日本以上かもしれない。

こうして、表からも裏からもこの大会に込められた熱量が感じられたことで、私はONEに対して、これまでの「一段下」的な印象を完全に払拭すると同時に、ONEを巡る違和感の正体は、アジアの現実を正視していないことで生まれるものだということに気付かされた。

いざ正体に気がついてみると、今度はONEに対して、「いったいなぜ盛り上がるのだろう」と、ひとかたならぬ興味を抱くようになったのだ。