その後、そんな風に割り切るようになっても、仕事は一生懸命やっているし、悪いことをしているわけではないのに……、と落ち込むこともたくさんありました。そんなときに支えてくれたのは、やはり家族や友人たち、そして、当時お付き合いをしていた、現在の夫であるシャルル・エドワード・バルトでした。

家族にはちょっとした愚痴を聞いてもらったし、彼はフランスではこの程度のことがメディアを騒がせることはないと驚きながらも、「それだけ注目されているってことなんだよ、すごいじゃない」といって励ましてくれました。

当時はいま以上に、「女性アナウンサーはこうあるべきだ」という枠組みが、マスコミにも、世間にもあって、その枠をちょっとでも出るとがんがんがんがんとやり込められる――そんな傾向があったような気がします。

フジテレビの入社試験で提出した写真。母の千恵子さんはアナウンサーになることを最後まで反対していた 写真提供/中村江里子

フジテレビ退社を決めた理由

平成11年、1999年に、8年間お世話になったフジテレビを退社しました。

会社をやめることに関しては、退社の1年ほど前から考えていました。あまりにも忙しくて、でもそれを器用にこなしてしまえる自分に違和感を覚えはじめたのです。生放送をやりながら、頭の中では次の仕事の段取りを考えている自分に納得ができませんでした。悪い意味での〝馴れ〟が出てきたのです。画面に出るよりも、ドキュメンタリー番組やナレーションがやりたいという希望を会社に伝えても、なかなか希望通りにはいきませんでした。

このまま勢いに身を任せたまま進んでいっては、自分を見失ってしまう。一度、ここを離れて、立ち止まって考えたい――。

そんな危機感にも似た気持ちで、退社を決意しました。

局アナ時代はとてもいい経験をさせていただいたと思っています。それなりに痛い思いもしましたが、そのぶん得たものもとても大きかったのです。

アナウンサーでいたからこそ体験できたこともたくさんありました。忙しかったけれど、若かったし、本当に多くのことを経験させていただきました。なんだかお祭りのような時間で楽しかったな、と感謝の思いでいっぱいです。
 

小さいころから四世代が一つ屋根の下で暮らしていたという中村江里子さん。お母様やおばあ様の証言や秘蔵写真とともに、現在の中村さんらしくある理由がわかる、愛にあふれた一冊。

中村江里子さんが年に2回のペースで刊行しているムック。『Saison d'Eriko Vol.10』では、50歳になったばかりの江里子さんが大好きなカフェの中からパリを中心に「大人が楽しめるカフェ」を大特集している。