浪花のモーツアルトが「CMソングの王様」になるまで

キダ・タローの告白【後編】
田崎 健太 プロフィール

八八歳、いまの楽しみ

東京と大阪の差が開きつつあった。

戦後、大阪の復旧は早かった。戦前から戦前から盛んだった繊維産業、雑貨製造業を始めとして、電化製品、造船、建設などで全国的な企業が現れている。さらに、スーパーマーケット、プレハブ住宅、カラオケ、アルバイト・サロン、バーのチェーン店、消費者金融、コンビニエンスストアといった、新しい産業が大阪で生まれた。

ところが、七〇年に大阪近郊の千里丘陵で開かれた日本万国博覧会以降、下り坂に入る。大阪発祥の大企業は東京に本拠地を移し、一地方都市化が進むのだ。

キダ自身は東京に出て行くという選択肢はなかったのか。ぼくの質問に、キダはわざと苦虫をかみつぶしたような表情をした。

「虫がスカンですね、東京大嫌いやねん。言葉の問題でね。なんちゅう、生意気なモノの言い様をするんやって」

そう言うと、ふと何かを思い出したような顔になった。

「昔、東京にはCMの録音でしょっちゅう行ってました。飛行機で銀座にあるABC(朝日放送)のスタジオに行くときに、西銀座デパートというのに必ず寄っていたんです」

動物好きのキダはデパート内のペットショップを覗いた。すると駕籠の中に入った九官鳥が激しく騒いでいたという。

「それで〝おはよう〟って(大阪弁のアクセントで)挨拶すると、〝んっ〟って黙っている。毎回、俺が行く前にはうわーって騒いでいるのに、俺が行ったら〝んっ〟となる。それでも〝おはよう〟って言い続けていたら、あるとき帰ろうとしたら、〝おはよう〟って(標準語で)言いおった。それが堪えたんや」

微笑みながら「時々行くのはいいんですよ」と付け加えた。

「板橋あたりをくりぃむしちゅーの上田(晋也)さんと歩いていたとき、品のいい奥さんが来て〝お仕事中、誠に申し訳ないですけれど、サインをお願いできますか〟って頼まれた。大阪やったら〝はぃ、サインしてぇ〟やろ。そういう感じは好きです。好きですけど、全体的に東京はスカン、なんじゃいっていう気持ちがある」

そもそも、東京(のコマーシャル制作業界)からそんなに誘われなかったのも、腹に立ちますやんかと笑った。

 

大阪に留まった彼は六十年代終わりからキダは、新たな道を歩んでいる。ラジオのパーソナリティである。独特の間、歯に衣着せない物言いは、喋る仕事に向いていた。七三年から始まった『フレッシュ九時半! キダ・タローです』(朝日放送ラジオ)という平日の帯番組は一五年以上、続いた人気番組となった。

「バンドの仕事って休憩が多かったでしょ。みんな狭い、暗い部屋で何やかんやでアホ言ってますやん。そのときに私はちょっと離れた柱の陰に立って、みんなの話を聞いておって、ちょっと間が空いたときにボソッと言うて笑わすというのが好きやったんです」

チョゲ、ですわ、とキダは笑った。

チョゲ、あるいはチョケとは、大阪弁でふざける、という意味である。

さらに八九年四月からは『探偵! ナイトスクープ』(朝日放送)に出演し、知名度は全国に広がった。現在もこの番組の「最高顧問」という肩書きで出演を続けている。

八八歳のキダの日常は静かなものだ。三十才を過ぎた頃から、夜出かけることはなくなった。

「人が酒で豹変するのを見るのが嫌なんですわ。たまたまその時期、尊敬しているプロデューサーがべろべろになって、何この人って思うぐらいになった。昼間、その人と仕事だけしていたら、尊敬出来る人なんです。酔っているところを見たらその人に対する気持ちまで変わってしまうから、と飲みに行かなくなった」

とはいえ、自宅で毎晩の晩酌は欠かさない。相手は妻の美千代のみ。美千代によると、キダは「末っ子で甘やかされて育った」ため、好き嫌いが激しいという。

料理を作り甲斐のない夫なんですと美千代は呆れた表情で言う。

「鮭、たらこ、卵焼き、牛肉、この四つしか食べないんです。たらこと鮭は、真っ黒になって破裂するまで焼いたものしか食べない」

二人でテレビを観ながら、ああでもない、こうでもいいながら、夜中まで酒を飲むのが何よりの楽しみなのだ。

<了>

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