浪花のモーツアルトが「CMソングの王様」になるまで

キダ・タローの告白【後編】
田崎 健太 プロフィール

キダが感じた東京と大阪の「壁」

初めて作曲したコマーシャルソングは何かと訊ねると、キダは首を傾げた。

「良く覚えていないんですけれど、(小林製薬のトイレ消臭剤)『ブルーレット』やなかったんかな。ただ、(テレビやラジオから)流れているのを聞いたことがないねん。だから、オンエアーされていないないと思う」

調べてみると、ブルーレットの発売は六九年。遅くともキダは五十年代半ば頃にはコマーシャルソングに関わっているはずなので、これは記憶違いだ。はっきりしているのは、二千曲、あるいは三千曲を作ったとされている彼は無自覚のまま、作曲の道に踏み出したということだ。

五九年十一月から、朝日放送で『ミュージカル・スポット・コンクール』という番組が始まっている。

「これは、日本全国から企業を募集して安くCMを作りますという企画の番組です。歌い手はデューク・エイセス、ボニー・ジャックスとか一流どころを起用する。だから、うわーって(応募が)来た。それで朝日放送は東京と大阪の作詞家、作曲家に曲を発注するわけです。東京はいっぱい、そういう人がおった。ところが、大阪にはおらん。作詞家はいないので全部東京。(作)曲は私が独占です」

 

デューク・エイセス、ボニー・ジャックス共に人気のコーラスグールブである。

キダが作曲を始めたのは、ラジオの総広告費が雑誌を追い抜き、新しいメディアであるテレビが急速に力をつけつつある時期だった。先達のいない現場は常に活気に溢れ、乱暴で混沌としているものだ。その中で、キダは曲を書き散らしていたという。

「それまで(テレビ番組で)著作権関係なしに(曲)使っておったのが、うるさくなった。その頃、ABC(朝日放送)からなんでもええから、ようけ曲作ってくれって言われたことがある。なんでもええっていうのは、悪くてもええわけです。それやったら、ネタが一つあったら百曲できる。

ただ、それは〝せきまえ〟になりますわな。せきまえっていうのは、いい加減みたいな意味。こっちは急ぐけど、いい加減ではないつもりなんですけれど、どうしてもそうなってしまう」

「最高で一日七曲。一睡もせずに二四時間で七曲というのが限界。詞があって、作曲して編曲して写譜。曲は一分で出来ることもあるし、一時間掛かることもある。作曲の時間は未定ですやん。でも、編曲、楽譜を書く時間というのが絶対いりますやん」

キダがコマーシャルソングを作る上で参考にしたのは、三木鶏郎だった。

三木鶏郎。本名・繁田裕司はコマーシャルソングの他、童謡、舞台音楽、映画音楽を手掛けた音楽界の巨人である。五一年の民間放送局開局に合わせて作られた、日本初のコマーシャルソング、小西六写真工業(現・コニカ)の「僕はアマチュアカメラマン」は三木の手によるものだ。

三木はコマーシャル・ソングを〝キャッチフレーズ・ウィズ・ミュージック〟と定義している。

弟子の一人、山川浩二は三木の曲作りをこう説明している。

〈「まずキャッチフレーズをひねり出すんですね。そこに朝・昼・晩とか春・夏・秋・冬とか場面を設定して情景を書き込んでゆく。作り方はフルコーラスが基本でした」〉(『みんなCM音楽を歌っていた』田家秀樹)

一九一四年生まれの三木は一六歳年上に当たる。同じ業界ではあったが、東京と大阪の距離があり、三木と面識はない。

「鶏郎さんのテーマソング、コマーシャルソングというのは、いずれを取ってもアカンと思ったのは一個もない。鶏郎さんを研究したというか、(彼の作ったメロディーが)毎日耳に入ってきますから。コマーシャルっていうのはこういう風に作るんやというのが、自分の中で出来ますやん。消化したと言えば恰好ええけど、物真似ですわ」

キダの言葉には独特の謙遜が混じっているため、そのまま受け取ることは出来ない。ただ、東京と大阪という二つの経済文化圏の間に壁があったことは、彼が作曲家として世に出る契機の一つとなったことだろう。ただし、その壁がその後の彼の動きを規定することにもなる。

コマーシャル――広告の背中には経済的そして文化的活力の浮沈が貼り付いているからだ。
 
一九五五年から始まった高度成長期を経て、庶民の懐は温かくなった。この右肩上がりの成長が続いていくのだという空気は消費を刺激し、家電製品、自動車など物欲が蔓のように広がって行く。それに伴い、商品広告――コマーシャルの質も変化していった。三木鶏郎の薫陶を受けたクリエイターたちが、洗練されたテレビコマーシャルを作っている。

例えば、六七年のレナウンの「イエイエ」である。これは「イエイエ」以外の歌詞のないコマーシャルミュージックは新鮮だった。コマーシャルミュージックの代表曲の一つとされている。作曲者は小林亜星。キダよりも二つ年下だ。

「イエイエ」を聞いたとき、どんな風に感じたのですか、キダに問うと「ああ、亜星さんの曲は綺麗ですね」と返した。

「ぶっちゃけて言うたら、東京のええスタジオで、ええバンドで、ええコーラス使いやがってって。大阪ではあのコーラスはできない、演奏も出来ない。東京は音大出の優秀なミュージシャンが沢山いる。東京でレコーディングでコーラス三人集めてくれって言うたら、めっちゃ上手いのが来るもん。需要がなかったら(人は)育たない。東京は腐るほど需要があるから、取捨選択できるほどの人が出て来る。大阪ではそういうわけにはいかん。ちょっとなんとかならんのかっていうのしか来ない」

そしてキダは三本指を突き出した。

「東京が一流やったら、こっちは三ですやん」

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