浪花のモーツアルトが「CMソングの王様」になるまで

キダ・タローの告白【後編】

芸に身をささげたレジェンドたちの生き様を描き続けるノンフィクションライターの田崎健太氏が、「いま、どうしても話が聞きたい」と会いに行ったのが、浪花のモーツアルトと呼ばれるキダ・タロー氏だ。ほとんど記録に残されてこなかった氏の数奇な人生を振り返るインタビュー、いよいよ後編へ――。

CMソングを手掛けるきっかけ

キダ・タローの二十代は、ダンスホール、キャバレーで鍵盤をひたすら叩き続ける時間だった。

「二十歳ぐらいから十年ぐらいはピアノばっかり弾いてました。キャバレーに朝から行って、終わるまでずっとピアノの前におりましたな。それ以外、一切何もない」

客から演奏してくれというリクエストが入るため、流行曲のレコードを購入し、何度も聴き、音を拾ってバンド用の譜面を書いた。

「当時は譜面とか売ってませんやん。売っていたとしても高いし、間違っているのが多い。だから自分で音を取らんとあかんのです。レコードに針を落としてぱっと聞いて、またもう一遍戻す。(音を拾いにくい曲では)百遍ぐらいそれをやったら、(レコードが)真っ白になります。それこそギターの弦と指がこすれるまで聞きました」

 

このままビッグバンドの一員として身を立てていくつもりだったのか、と訊ねてみると、「何にも考えてません」と棒を吐き出すように、ぶっきらぼうな言葉が返ってきた。

「私の場合、こうなろうと言うてこうなる男と違います。遙か彼方を目指して何かをやろうというのは一切ない男なんです」

将来設計ゼロの男ですと胸を張った。

キダにツキがあったのは、消去法ではあったが、演奏する楽器にピアノを選んだことだった。

「ビッグバンドのピアノの譜面っていうのは、こう弾けとは書いてないんです。コード進行の上にサックスがこう、トロンボーンがこう動くっていうのは書いてある。その空いた(音の)隙間に自分のセンスでぺらぺらって弾く。どんなアホでもピアノ弾いていれば、自分のバンド(の楽器)がどんな動きをしているのか、体で分かる。それをワンステージ何十曲、毎日やるわけです」

さらに、それぞれの楽器の動きを把握することで編曲も学ぶことになる。

「良いアレンジの曲をやったときは、こいつセンスええなって思うでしょ。そういうのをやっていると、自然と編曲、作曲のやり方というのが分かってくるもんです」

ピアノをやっていて得しましたな、と独り言のように呟いた。

キダが初めて作曲を手掛けたのは、『パラマウント』というキャバレーにいた頃だ。いつ頃ですかと聞くと、「私はそういう歴史みたいなものは頭にありません」ととぼけた顔をした。

パラマウントは南海電鉄のなんば駅前、タカシマヤの向かいのビルにあった。
「昔のビルは張りぼてみたいなもんです。見た感じは立派、お客さんの目に触れるところはちゃんとしてますけど、裏はコンクリートむき出し、木の板が渡してあったりと汚いところでした」

パラマウントは、アルサロ――アルバイトサロンだった。素人、経験の浅い女の子が接客するナイトクラブである。今のキャバクラと同種の店だ。

「バンドマスターから〝キダやん、曲書かへんか〟って言われた。〝なんですのん〟って訊いたら〝パラマウントが何周年かなんかでお客さんから詞を募集したらこんだけ来た。これが当選作やけど書いてみいひんか〟って」

 

この店には二葉という源氏名の女性が働いていた。彼女は漫才師としてデビュー、その後、駆け落ちして漫才師を辞めていた。夫と別れ、子どもを育てるためにこの店で働いていた。歌が得意な彼女は、しばしばステージに上がっていた。

彼女は自伝でこう書いている。

〈クリスマスも近づいて来たので、パラマウントではパーティ用の新曲を用意したんです。

「この歌は、二葉さんにうたうてもろて、大いに景気づけようやないか」

作曲した人が、ウチに譜面と歌詞を渡してくれはりました。この作曲者が、現在活躍してはる「キダ・タロー」さんです〉(『女やもン!』)

後年、演芸の道に戻り『かしまし娘』を結成する正司歌江である。

キダが所属していたのは『義則忠夫とキャスバオーケストラ』というバンドだった。キダによると「大阪で二番目にええバンド」だったという。

「一番は毎日放送の専属バンド。そこは(美空)ひばりさんの伴奏も出来る。かつて、ひばりさんは長いこと、東京のバンドでしか歌わないって言うてはった。どうしょうもなく大阪で歌う場合は毎日放送のバンド。うちのバンドはだいぶ経ってから、ひばりさんのバックが出来るようになった」

キャスバオーケストラは、しばしば朝日放送の公開放送に起用された。そこで知り合ったプロデューサーの縁でコマーシャルソングの作曲を手掛けるようになった。