浪花のモーツアルトの礎をつくった「ダンスホールの青春」

キダ・タローの告白【中編】
田崎 健太 プロフィール

あのスター俳優の「バックバンド」を…

キダは記録の類を一切残していないので、はっきりしないが、関西学院理工専門部に一年籍を置いた後、五十年に文学部社会学科に再度入学したようだ。しかし、演奏活動に熱を入れたため、学校に通った記憶はほとんどない。

キダがダンスホールにある、アップライトピアノの鍵盤に向き合っていたこの時期、ジャズは米軍キャンプのみならず、日本人の間でも大人気となっていた。五十一年に前出のベーシスト、渡邊晋はシックスジョーズを結成した。

テナーサックスの松本英彦、ピアノの中村八大、ドラムのジョージ川口、トランペットの松本文夫、ベースの吉葉恒雄という、日本のジャズ草創期の代表的な面々である。

こうした動きをキダは斜めに見ていた。

「今やったら安い楽器も手に入る。でも昔はなかった。ちゃんとした楽器があるか、ないかっていうのは大事ですよ。そもそもタンゴをやったんだって、アコーディオンとバイオリンがあったから。タンゴしか出来ないじゃないですか。貧乏人で積み上げてきた男ですから、(恵まれたミュージシャンに対しては)なんじゃい、みたいなものはありましたね」

 

その後、キダは大阪に出来た女性専用のダンスホールのピアニストとなったが、この店はすぐに閉店、別のキャバレーのビッグバンドのピアニストとなっている。

その店には人気のミュージシャンが出演することもあった。

「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズっていうのがおりまして、当時の一流(ミュージシャン)です。レコードも出してます。それがうちの店にしょっちゅうゲストで来るんですわ。そういうときは満員のお客さんが踊らない。全部、ステージの前に(演奏を見るために)集まるんです。それでその人たちの演奏が終わって、我々の番になるとびゃーってまた散りおる。その姿がずっと瞼に焼き付いている」

年下の映画俳優が店に現れたときは、大騒ぎになった。

「いつのことかはっきり覚えていないんですけれど、彼が大学四年生ぐらいやと思うんです。まだオリジナル曲をそんなに持っていなかった。なんや生意気やなって。下地もないくせに唄、歌いやがって、みたいなもんでしょうね」

石原裕次郎が、映画『太陽の季節』でデビューした直後かと思われる。石原のバックで演奏したんですね、と訊ねると、キダはにやりと笑ってこう返した。

「我々が伴奏したったんですよ」

目尻の少々下がった穏やかな顔をしているキダは、時折、棘のある言葉を吐く。柔らかな笑顔の下にある反骨心が彼の人生の背骨となっているのだ。

<後編に続く>

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