「浪花の全身作曲家」キダ・タローが明かす数奇な人生

前編:終戦とアコーディオン
田崎 健太 プロフィール

姉からの一言が人生を変えた

キダの自宅には、結核を病んでいた兄のために買ったアコーディオンがあった。

「兄がアコーディオンを欲しいっていうんで、親父が刑事の給料の中からひねり出して買いに行ったんです。ところが戦争中やからアコーディオンは売ってない。そもそもアコーディオンっていうのは家一軒するぐらいの値段やった。買えるはずもない」

アコーディオンの左手の部分には「ベース」と呼ぶ低音と和音を出す一二〇個の〈ボタン〉がある。アコーディオンは、左手で低音とコードを、右手で鍵盤で旋律を弾くことが出来る。

「親父が兄貴のために買うて来たんは、ボタンが八つの奴。玩具ですわ。兄貴がそのアコーディオンを嬉しそうに弾いていたのを覚えてます。兄が亡くなってからはそのアコーディオンは床の間にずっと飾ってあった」

アコーディオンには教本がついていた。

「小学生のとき、ハーモニカを吹いてましたでしょ。ハーモニカの楽譜というのは、一から八までの数字で書いてあって、音を伸ばすときは棒。五線紙よりも簡単。アコーディオン教本を見たら、やはり五線紙の下に数字で(音階が)書かれていたんです。それは読めますやん。それで弾いていたら、姉が〝上手いやないの〟って言ってくれた」

私は、そういうおだてに弱いんです、とキダは声を上げて笑った。

「褒められると、文字通りに受け取りますから、余計練習したんです。それを学校に持って行ってバンド組んだ」

 

一九四八年、学制改革に則り、関西学院高等部が設置。キダは中等部四年生から高等部二年生に編入している。この高等部発足に合わせて、他校から転校生が多く加わったという。

その中に藤岡茂という男子生徒がいた。

「彼は加古川のお金持ちの家の子なんですよ。お金持ちやから子どもの頃からバイオリンをやっていた。そのバイオリンが結構甘い音で良かったんですよ。バイオリンとアコーディオンっていうと、楽器的にジャズではなくてタンゴなんです。クラリネットやギターを加えてタンゴバンドをやることになった」

藤岡の記憶は少し違う。彼の自叙伝には中学生時代から音楽をやりたかったのだが、なかなか機会がなく、高校生になってようやく楽器を手に入れたと書かれている。

〈当時のぼくが親からくすねたなけなしの金で、楽器としてのすべての条件を満足させて、しかも安い値段で手に入れることの可能な楽器は何かと考えたら、バイオリンという答えが出たのだ。本当は、その頃はジャズの影響を受け始めていて、トロンボーンに魅せられていたものの、まだ金管楽器は高嶺の花で、ぼくの買えるのはオンボロギターかオンボロバイオリンぐらいでしかなかったのだ。

ともあれ、バイオリンを買ったからには弾けなければ話にならないので、姫路市内の先生の家に通った。その先生の手ほどきを受けて、あとは独学で「ホーマン」の教則本を見ながら練習し、続いて「カイザー」に挑んだが、あまりの難しさに音を上げ、こちらは途中下車してしまった。

カイザーさんとおさらばしたのがたたって、バンドにいた間、とうとう初見で弾くまでに至らず、ずっと第二バイオリンだったし、ある時、交響楽団に狩り出されたものの、これまたあまりの難しさにしっぽを巻いて逃げ出したこともあった〉(『今夜はジャズで』)

この藤岡茂は、後に『渡る世間は鬼ばかり』などに出演する俳優・藤岡琢也となる。

(中編「浪花のモーツアルトの礎をつくった『ダンスホールの青春』」に続く)

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