「一人で死ね」でなく、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」と言いたい

【川崎事件】排除のない社会に向けて
原田 隆之 プロフィール

事件に対して行き場のない大きな憤りを抱いているのは、皆同じだ。だからと言って、「一人で死ね」という言葉を投げかけても、それは空しく響くだけだ。

容疑者にはもうこの罵倒は届かないが、もしかすると、孤立し、疎外感を抱き、途方に暮れて、死を選ぼうとしている人が耳にするかもしれない。

だとすると、既に死んでしまった容疑者に向けてではなく、藤田氏が想定しているように、孤立のなかで、死んでしまいたいと思っている人に向けての言葉として考えてはどうだろうか。

そのときわれわれは、「巻き込むな」と言ってもよいだろうが、「死ぬなら勝手に一人で死ね」と言うべきだろうか。

やはり、「巻き込むな、でもお前も死ぬな」という言葉をかけるべきではないだろうか。

 

排除のない社会へ

藤田氏が言いたかったことは、孤立した人々をこれ以上追い込むような言葉を控えようということである。それには私も全面的に賛成する。

しかし、追い込むことがさらなる凶行を生むというのは、少し論理の飛躍がある。

凶行を生むからやめようではなく、孤立した人をさらなる孤立へと追いやったり、社会から排除して切り捨てるようなことをやめようというだけでよいのではないだろうか。

彼らは犯罪予備軍でもないし、追い詰められたからといって誰もが犯罪に赴くわけではない。

犯罪予備軍から社会を守るというためではなく、寛容な社会をつくり、さまざまな人を切り捨てずに受け入れる社会をつくるために、「一人で勝手に死ね」などという言葉は控えて、その代わり「死ぬな」という言葉を届けよう。それこそを目的とすべきだと思う。

それはもちろん、犯罪のない社会をつくることにもどこかでつながっていくはずである。