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信義を守ることより大事なこと

【5分de名著】マキャベリ『君主論』全訳注:佐々木毅④
「5分de名著」第2弾はマキアヴェッリ『君主論』講談社学術文庫の誇る名著の本文をお読みいただけます。今回のテーマは、君主は信義を守るべきかという問い。人を欺く君主が偉業をなした歴史をどう考えるべきなのか?

君主は信義をどのように守るべきか(第一八章)

君主が信義を守り、狡知によらず誠実に生きることがいかに称讃に値するかは、何人といえども知っている。しかしながら経験によれば、信義のことなどほとんど眼中になく、狡知によって人々の頭脳を欺くことを知っていた君主こそが今日偉業をなしている。そして結局信義に依拠した君主たちに打ち勝ったのである。

 

そこで闘争の方法には二つのものがあることを知る必要がある。一つは法によるものであり、他は力によるものである。第一の方法は人間に固有の方法であり、第二のそれは野獣に特有な方法である。しかしながら第一の方法ではしばしば充分でないため、第二の方法が援用されることになる。

それゆえ君主は野獣と人間とを巧みに使い分けることを知る必要がある。このことを古代の著作家は神話を用いて君主に教示している。

彼らによればアキレウスやほかの古代の君主達は半人半獣のキロンに養育のためあずけられ、彼の訓育を受けたのである。このように半人半獣の存在を師としたということは、君主がこの双方の性質を使いこなすことを知る必要があり、一方を欠けば君主は長続きしないということを示そうとしたものにほかならない。

このように君主は野獣の方法を巧みに用いる必要があるが、野獣の中でも狐と獅子とを範とすべきである。それというのも獅子は罠から自らを守れず、狐は狼から身を守れないからである。それゆえ罠を見破るには狐である必要があり、狼を驚かすには獅子である必要がある。

これに対して獅子たることだけに止まる場合にはなすべき事柄に通じていないのである。それゆえ賢明な君主は信義を守るのが自らにとって不都合で、約束をした際の根拠が失われたような場合、信義を守ることができないし、守るべきではない。