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マキャベリは実際に何を言っていたのか?

【5分de名著】マキャベリ『君主論』全訳注:佐々木毅①
現代新書の姉妹シリーズ「講談社学術文庫」には、古今東西の名著がたくさん納められています。タイトルだけは聞いたことあるあの本、いつかは読みたいと思っているこの本を、「チラ読み」してみませんか?今回は、ルネサンスが生んだ政治学の大古典『君主論』。組織の中で生きる現代人にこそ深く刺さる一冊です。第一弾『五輪書』こちら

極悪非道な手段によって君主となった場合(第八章)

しかし一私人から君主になる方法にはさらに二つの方法があり、両者とも幸運や能力に完全に帰することができないので私としてはそれに言及しないわけにはいかないように思われる。ただし、その中の一つについては、共和国を論ずる時により詳細に論じられるであろう。

 

ところでこの二つとは、極悪非道、残虐な方法で君主となった場合と、ある一市民が他の市民達の好意によって祖国の支配者となる場合である。第一の方法について語るに際しては、古代と現代との二つの実例を示すことにし、この部分の功罪には立ち入らないことにする。何故ならば、それを模倣しなければならないと思う人にとっては実例だけで十分と考えられるからである。

シチリアのアガトクレス1は一市民、しかも最下層の卑賤な生まれからシラクサの王となった。陶工の子に生まれた彼は一生の間常に極悪非道な生活を送った。しかし彼の極悪非道ぶりには非常な精神と肉体との力が伴っていたので、軍隊に入ると進級を遂げてシラクサの執政官となるに至った。

この地位が固まると彼はいつか君主となって、人々の同意によって与えられた地位を暴力によって他人の恩義によらずに保持しようと思いめぐらした。

そこで彼は当時兵を率いてシラクサを攻撃していたカルタゴのハミルカルにこの企ての了解を求め、ある朝共和国に関する事柄を議するためと称してシラクサの民衆と元老院とを召集した。そしてあらかじめ定めていた合図を機に、兵士達はすべての元老院議員と非常に富裕な人々を殺害した。

彼らが死んだため、アガトクレスは今やなんら市民の反対を受けることなくこの都市の君主の地位を掌握した。彼はカルタゴ軍によって二度も打ち破られ、ついには包囲された。しかし彼はシラクサを防衛できたのみならず、軍隊の一部を包囲に対する防衛のため残しつつ、他の兵を率いてアフリカを攻撃し、短期間のうちにシラクサの包囲を解かせ、カルタゴを窮地にまで追い込んだ。

そしてカルタゴは彼と妥協することが必要となり、自らはアフリカの領有で満足し、シチリアはアガトクレスの手に委ねられた。それゆえ彼の行動や能力を考慮するに幸運に帰せられうる事柄がまったくあるいはほとんどなかったことが知られる。

すでに述べたように彼は他人の好意によらず、多くの困難と危険とを代償にして手に入れた軍隊の中での地位によって君主となり、その後勇敢かつ危険に満ちた方策によってその地位を維持したのである。

(1)Agathoklēs (BC361〜BC289) シラクサの陶工の息子で、後に僭主となる。カルタゴを攻めるなど強国策をとり、シチリア王とも呼ばれた。