髙橋秀実さんにお悩み相談「哲学のことが、わからないのです」
人生相談名人の回答とはノンフィクション作家の髙橋秀実さんは、読売新聞でなんと大正3年から続く悩み相談コーナー「人生案内」の回答者を務めていたことがあります。このほど、その問答に「悩み」についてのエッセイを合体した『悩む人 人生相談のフィロソフィー』(文藝春秋刊)を上梓しました。そこで髙橋さんに、現代新書の編集者が「悩み」を抱えて、インタビューしてきました。
愛するを知るのが哲学?
まず、編集者(R介)の「悩み」は読売新聞「人生案内」風に書くとこんな感じです。
髙橋秀実 哲学というのは「philosophy」の翻訳です。その語源は、ギリシア語で

「philein」(愛する)+「sophia」(知)。日本では「知を愛すること」と解釈されていますが、これは誤訳だと思います。
昔から日本の知識人は漢文訓読の癖で熟語を逆さにして読みたがる。いわゆるレ点ですね。
だから「知ヲ愛スル」となってしまうわけですが、素直にそのままの順番で読めば、「愛するを知る」になるじゃないですか。
哲学辞典などにはどこにも書いてありませんが、ギリシャ系アメリカ人の映画監督、ジョン・カサヴェテスがそう言っています。
実際、彼の映画を観ると「愛する」を知ることができるし、ギリシャ系だから間違いないと思います。
日本のいわゆる「哲学」は、西洋哲学の翻訳です。翻訳といっても西洋の言葉を難解な漢語に置き換えている。漢語だって外国語なわけで、外国語を外国語で訳しているんですからわからなくて当然でしょう。
その「わからない」ということを「深い」と言ったりするのが知識人なんです。確かにその闇は深い感じはしますもんね。
江戸時代に荻生徂徠は、漢文を前に「これは中国語だ」と指摘していました。
当たり前のことですが、彼は中国語なんだからそのまま中国語で読むべきで、ひっくり返したり、勿体つけて訓読みしたりしてはいけないと注意したんです。中国人が普通に中国語で書いていることなんだから、そんなに奥深くて難解なわけがない、と。
でも、その一方で「故(ことさら)に人は奇特の想(おもい)を作(な)す」とも看破している。つまり何を言っているのかよくわからないほうが有り難みを増すんですね。
「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)と「私は思う、だから私はいる」を比べると、意味は同じでも前者は漢文訓読調で哲学的なのに、後者はアホっぽいでしょ。
「無知の知」(ソクラテス)は「知ったかぶりをしないこと」、「弁証法」(ヘーゲル)も「ああでもないこうでもないと考えると賢くなる」と、私なら言い換えたくなりますが、そうすると西洋風の端正な顔が近所のおっさんみたいになって、まったく有り難みがなくなる。
お経だってそうです。聞いても何がなんだかさっぱりわからないから有り難いんですよね。