髙橋秀実さんにお悩み相談「哲学のことが、わからないのです」

人生相談名人の回答とは

ノンフィクション作家の髙橋秀実さんは、読売新聞でなんと大正3年から続く悩み相談コーナー「人生案内」の回答者を務めていたことがあります。このほど、その問答に「悩み」についてのエッセイを合体した『悩む人 人生相談のフィロソフィー』(文藝春秋刊)を上梓しました。そこで髙橋さんに、現代新書の編集者が「悩み」を抱えて、インタビューしてきました。

愛するを知るのが哲学?

まず、編集者(R介)の「悩み」は読売新聞「人生案内」風に書くとこんな感じです。

現代新書の編集をしている50代男性編集者。現代新書の企画会議でいつも肩身の狭い思いをしています。会議中出てくる哲学者は名前しか知らないし、そもそも哲学に興味がない。いや正確に言うと興味がないのではなく全然理解できないんです。今までバカなフリをしてなんとか乗り切ってきましたが、「バカなフリをしているフリをしているだけ」つまり単にバカなだけなのがバレてきて、もはやお話になりません。なんとかならないかと思って、〈考えるヒント満載 新時代の哲学入門〉と帯にある髙橋さんの『悩む人』を読みました。そこに哲学は「知を愛すること」と日本で解釈されているが、語源的には「愛するを知ること」かもしれないと書いてあって、元気が出たんです。愛なら得意です。でもこれホントですか? (神奈川・R介)

髙橋秀実 哲学というのは「philosophy」の翻訳です。その語源は、ギリシア語で

髙橋秀実氏 

「philein」(愛する)+「sophia」(知)。日本では「知を愛すること」と解釈されていますが、これは誤訳だと思います。

昔から日本の知識人は漢文訓読の癖で熟語を逆さにして読みたがる。いわゆるレ点ですね。

だから「知ヲ愛スル」となってしまうわけですが、素直にそのままの順番で読めば、「愛するを知る」になるじゃないですか。

哲学辞典などにはどこにも書いてありませんが、ギリシャ系アメリカ人の映画監督、ジョン・カサヴェテスがそう言っています。

実際、彼の映画を観ると「愛する」を知ることができるし、ギリシャ系だから間違いないと思います。

日本のいわゆる「哲学」は、西洋哲学の翻訳です。翻訳といっても西洋の言葉を難解な漢語に置き換えている。漢語だって外国語なわけで、外国語を外国語で訳しているんですからわからなくて当然でしょう。

その「わからない」ということを「深い」と言ったりするのが知識人なんです。確かにその闇は深い感じはしますもんね。

江戸時代に荻生徂徠は、漢文を前に「これは中国語だ」と指摘していました。

当たり前のことですが、彼は中国語なんだからそのまま中国語で読むべきで、ひっくり返したり、勿体つけて訓読みしたりしてはいけないと注意したんです。中国人が普通に中国語で書いていることなんだから、そんなに奥深くて難解なわけがない、と。

でも、その一方で「故(ことさら)に人は奇特の想(おもい)を作(な)す」とも看破している。つまり何を言っているのかよくわからないほうが有り難みを増すんですね。

「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)と「私は思う、だから私はいる」を比べると、意味は同じでも前者は漢文訓読調で哲学的なのに、後者はアホっぽいでしょ。

「無知の知」(ソクラテス)は「知ったかぶりをしないこと」、「弁証法」(ヘーゲル)も「ああでもないこうでもないと考えると賢くなる」と、私なら言い換えたくなりますが、そうすると西洋風の端正な顔が近所のおっさんみたいになって、まったく有り難みがなくなる。

お経だってそうです。聞いても何がなんだかさっぱりわからないから有り難いんですよね。