『陽の鳥』 著者:樹林伸

希代のヒットメーカーが挑むメディカル・エンタテインメントを連続公開 VOL.1

「これを壊したところで、また必ず作れるさ。俺たちの研究はそういう段階まできてる。アカゲザルでは、一〇回試みて二回、人間でも八回目にして一度の樹立を成功させたんだ。『P因子』さえ押さえてあとは作業に微修正を加えていけば、ヒト体細胞クローン胚の樹立は、もうじき羊や牛と同じレベルになるはずだ」

 発見したゲノム初期化因子を、森彦は『P因子』と名付けていた。その因子さえ加えれば、人間の卵子でも羊なみのゲノム初期化能力を持たせることができるようになるだろう。

『陽の鳥』
著者:樹林伸
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 次はいよいよ、霊長類の体細胞クローン胚を受精卵の代わりに用いて、妊娠、出産にまで至らしめる段階だ。

 これは人間でやるわけにはいかない。一般にはマカク属のアカゲザルやカニクイザルを用いるが、できればより人間に近い種族のチンパンジーなどでも試してみたい。

 そして胚の樹立の確率が上がってきたら、次はいよいよ移植医療や不妊治療への応用だ。想像を巡らせるうちに肩に力が入り、思わず深呼吸した。森彦が使っている香水の匂いが、仄かに鼻腔の奥をくすぐる。実験動物が比較的嫌わないという理由で選んだ、動物性のムスク。実験動物との接触でどうしてもついてしまう獣臭を息子の有基がいやがるため、ほんのわずかだけ頸の辺りにつけているのだ。

「そうだ、先生」

 名嘉城がふいに手を打ち、香水から息子への唐突な連想をパチンと叩き潰す。

「その『P因子』のことなんですけど、一つだけわからないことが」
「わからないこと? 『P因子』に関してはきみにすべて伝えたはずだが」

 二人でなし遂げた霊長類クローン開発の肝であるこのゲノム初期化因子の発見は、高い技術価値を秘めている。将来的な特許取得に関しても、名嘉城を権利者の一人として加える意向はすでに伝えてあった。

 彼の献身的な努力に敬意を表する意味でも、特許権利者に彼の名を連ねることに、森彦はなんの迷いもなかった。むしろ積極的にそうしてやりたい気持ちだった。

 沖縄の貧しい家庭の出身で、苦学して奨学金とアルバイトで国立医大を卒業した名嘉城が、その話を持ちかけられて無邪気に喜んでくれたのが嬉しかった。

「いえ、一つだけあるんですよ、聞いてないことが」
「そうか。じゃあ言ってみてくれ。なんでも答えるから」