『陽の鳥』 著者:樹林伸

希代のヒットメーカーが挑むメディカル・エンタテインメントを連続公開 VOL.1

「何度見てもみごとな胚盤胞ですね、先生。雪の結晶みたいに整っていて」

 名嘉城は、ため息をつきながらマニピュレーターを慎重に操作して、
「こうやってガラス管を挿入すると、中にたくさん細胞が詰まってるのがよくわかります。本当にこれ、壊しちゃうんですか。もったいないな、まず間違いなく、世界で初めて樹立したヒト体細胞クローン胚なのに」

「これ以上は、子宮内でなけりゃ育たないんだから仕方ない。それにもう映像もデータも記録ずみだし、あとは論文にまとめるだけだ。ここまでこられたのは、本当にきみのおかげだよ、名嘉城君」

 森彦は、顕微鏡を覗いている名嘉城の両肩に労うようにそっと両手を当てた。

 クローン技術の研究には当該動物の卵子が必要であり、ヒト・クローンなら当然のことながら人間の女性の卵子を数多く手に入れなくてはならない。不妊治療に携わる名嘉城が、献身的な努力で卵子の提供者を潤沢に確保してくれなかったら、ヒト・クローンなどという倫理的に批判を受けかねない研究を続けること自体、難しかっただろう。

 名嘉城数矢は関東大学付属病院の若手医師で、産婦人科の不妊治療現場で働いている。畜産学部の講師だった森彦が、ヒト・クローン技術の開発を目指すプロジェクトチームの立ち上げを、生命科学研究所の所長に申請したのは二年前だ。当時まだ二七歳だった名嘉城が、研修に入ったばかりの産婦人科との兼任ならとスタッフに加わってくれた時には、嬉しさのあまり毎日のように自宅に連れてきて、まだ六歳の息子と一緒の夕食にまで付き合わせ、あげくのはてには帰さずに朝まで飲み明かしたものだ。ほとぼりが冷めても何かと理由をつけては、三日に一度くらいのペースで森彦宅に連れてこられていた彼は、いっそのこと近くに住んだほうが楽だと考えたのだろう、ほどなくして同じマンションの住人になってしまった。

 森彦も元は名嘉城と同じ関東大学医学部の出身で、修士課程から生命科学分野の実験がやりやすい畜産学研究科に進んだ変わり種だった。将来の教授候補とはいえ三一歳のいち講師が作った、ましてや格下と目される畜産のプロジェクトチームに、兼任であるにしても医局の若手ホープが加わるというのは例外中の例外だった。しかし、ヒト・クローン胚の樹立という森彦の目標は、医局にとっても成功の可能性があるならぜひ一枚噛んでおきたいところだったのだろう、案外簡単に許可がおりて正式研究員二名の小さなプロジェクトチームがスタートした。

 以来、雑用をこなしてくれる契約助手や、森彦がゼミを持っている畜産学部の学生を除くとほとんど二人きりで、世界中の名だたる研究機関が目指しながらもなし遂げられないでいる、人間を含めた霊長類体細胞クローン胚の樹立を目指す研究を続けてきたのだった。